ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

ミュンヘンその2 お城の中のミュンヘン国際児童図書館

ミュンヘンに行きたかった理由はたくさんありますが、その中の一つとして、あの伝説的な国際児童図書館を訪れてみたい、というのがありました。

この図書館は1949年に世界で初めて開館した、世界中の子どものための本を収集する国際児童図書館です。日本にも支部のある、世界の子どもたちの読書を推進する活動を行っている国際児童図書評議会、つまりIBBYを発足したドイツのジャーナリストのJELLA LEPMANが創立しました。日本の国立国会図書館国際子ども図書館のお手本にもなっている図書館です。

          

レップマンは、戦争で心が荒廃してしまったドイツの子どもたちに潤いを与えるのは本で、いろいろな国の本を読んだり見たりすることによって、世界の子どもたちが交流し続けることのできる、平和な社会を作る意志と意欲が生まれるのだと信じていました。

彼女は世界中の出版社に呼びかけ、子どもたちに本を寄付するうように依頼し、その結果、14か国から4000冊が届きました。1946年にこのコレクションは「国際児童文学展」という展覧会の形でミュンヘンの美術館で展示されました。この展覧会がきっかけとなって、アメリカの児童図書館をモデルに児童と青少年のための国際的な図書館を創立するアイディアが浮かんだといいます。

最初の図書館はミュンヘン市内にありました。

アメリカのマンガや外国の本が自由に読めるこの環境は子どもたちにとってのオアシスでした。この図書館は開館当時から、読書をしたり、本の貸し出しをするという単なる図書館なのではなく、読書サークルや作家と一緒に英語などの外国語を学ぶコース、絵画教室、先生たちのためのレクチャー、レップマンと仲の良かったケストナーによる演劇活動など、放課後に色々なアクティヴィティーのできる特別な場所ででした。

子どもの時に読んだ『スケートをはいた馬』もケストナーの作品です。あまりよく覚えていないので読み直してみたいと思いました。『どうぶつかいぎ』はケストナーとレップマンが思い描いた世界平和がそのまま絵本になっている作品です。彼が子どもたちとどんな演劇活動をしていたのか、とても興味があります。

             ケストナー 本の中古/未使用品 - メルカリ

ミュンヘン国立図書館は現在、ミュンヘン郊外の、おとぎ話に出て来るようなかわいいお城の中にあります。毎年世界中の出版社から寄付される蔵書数が膨大な量に達したので、1983年に移転することになったのです。

ブルーテンブルグ城に行くにはいくつか方法がありますが、私たちはS-BAHNの6番でPASINGという郊外のとても感性な住宅街が中心の地区まで行き、そこからバスに乗りました。乗客はみなとても親切で、降りるところを教えてもらいました。

    

         

        

お城への入り口は森に囲まれていました。小川にかかった橋を渡って周りが公園になっているお城のほうに向かいます。ヴルム川のほとりのブルーテンブルグ城は15世紀初頭にバイエルン公アルブレヒト3世が中世の城跡に建てた狩猟用の館です。4つの塔のある城壁に囲まれています。ゴシック様式のオリジナルな内装の残るチャペルには、3つの祭壇画があります。15世紀末のヤン・ポラックの傑作です。水の豊富な自然に囲まれた、おとぎ話の舞台のようなこの美しい環境は、まさに永遠に守っていくべき子どもの想像の世界を象徴しているかのようです。

図書館が移動するにあたり、お城の地下には巨大な収蔵庫が建設されました。

お城の中庭には芝生や木が植わり、真ん中の大きなテーブルでは図書館のスタッフがミーティングを行っていました。しばらくすると、そのうちの一人がこちらに走り寄ってきました。今日特別に案内してもらうように頼んだイタリア人のスタッフメンバーのヴァㇾリア・ジャクィントさんでした!

世界中から本が届くので、スタッフも世界中の人たちが色々な言語圏を担当しています。ヴァㇾリアさんはドイツ人と結婚してミュンヘンに住んでいて、図書館では主に中学生よりも上の学年の読書推進活動に従事しています。特に、本を読まないことで悪名高い職業学校の男子学生が彼女のターゲット!!大変だけれどとてもいい成果があり、彼女は大満足です。この図書館の中学生の読書サークルは彼女のおかげでイタリアのストレーガ文学賞児童部門の審査に毎年参加しています。ドイツではイタリアの作家のダヴィデ・モロジノットが大変人気があるのだそうです。モロジノットの作品は日本でも『ミシシッピ冒険記』が翻訳されています。彼女は移民の子どもたちとの活動にも興味を持ち、文字のない絵本を使ったワークショップを考案中とのこと。文字のない絵本に関しては、私自身もイタリアのIBBYの移民の子ども受け入れのためのサイレント・ブック・プロジェクトに少しだけ関わっているので、特に韓国の文字のない絵本の強烈な物語性について彼女に話しました。(本当にすごいです)

最初に見せてもらったのは、門から入って左側に入り口のある、国際児童図書館の「児童図書館」(開館時間 月ー金午後2時ー6時)。4歳以上の子供大人に現在開放されている国際児童図書館の読書室では現在、約3万冊が言語ごとにまとめられています。言語数はなんと20以上。基本的に貸出は、本が2部あるものだけだそうです。日本語コーナーももちろんあります!

図書館では現在、ローゼンハイム大学の建築学部の学生たちが、心地よい読書空間を室内に作り出すプロジェクトを展開中でした。この、隠れて本が読めそうな本棚階段も彼らの作品のうちの一つなのだそうです。

       

     

 

図書館では夏も子どもたちのワークショップが展開されていました。私たちが訪れた日にはお話を作ってそれを映画にするというワークショップが行われていました。

お城の中には4つの塔や長い廊下を利用して「秘密の部屋」がいくつかあります。中でもミヒャエル・エンデMichael Ende 1929-1995の書斎が再現されている、ミヒャエル・エンデ・ミュージアムはまるで時間がとまったような、不思議な空間でした。そこには彼の蔵書や手稿のほか、シュールレアリズムの画家であったお父さんの作品も飾ってありました。イタリアで収集された色々なオブジェも飾ってありました。二人目の奥さんが日本人であったことから、日本風の空間もありました。

下の写真はシュールレアリズムの画家であったお父さんが絵を描いてくれた家具です。お誕生日のプレゼントだったそうです。

            

 

もう一つの部屋は、児童文学の研究者たちがいつも調査に励んでいる閲覧室の上にある、絵本作家ビネッテ・シュレーダーBinette Schroeder   1939-2022の全作品の原画を収めた展示室です。ルネッサンスからバロック期に流行した「驚異の部屋」というプライヴェートな書斎に想をえた木造の空間で、イギリスの建築家、アンドリュー・ハウクロフトとシュレーダー自身がデザインしました。シュレーダーの作品に想を得た仕掛け付きの作品もも室内に組み込まれています。彼女の絵本コレクションは珍しい外国の絵本もあります。いつかここに戻ってきて彼女が大切にしていた絵本たちを読んでみたいです。下の写真は開くと動き出す仕掛け付きのオルゴール。

            

 

エーリヒ・ケストナーErich Kästner 1899-1974の部屋は、ブルーテンブルグ城の城門の塔にあります。各国語に翻訳されたケストナーの作品の初版本、60カ国語、500冊以上が所蔵されています。生前使用していた家具などが展示され、日当たりのよい読書室の形をとった心地の良い空間です。

                            Erich-Kästner-Zimmer - Internationale Jugendbibliothek           

残念ながら、ガラスの灯台のような展示ケースのあるジェームス・クルスの塔 James Krüss 1926-1997 を見る時間はありませんでした!次回是非観てみたいです。

この図書館のスタッフは国際的ですと最初に書きましたが、日本を25年間にわたり担当していたのはガンツェンミュラー文子さんという児童文学の研究者です。日本の児童文学の世界的普及に大変貢献してきました。幸い、ヴァㇾリアさんのおかげで彼女の後継者、中野玲奈さんに会うことができました!彼女は日本の出版社から届く本のカタログ化、それらの書評など随時執筆していてミュンヘン国際児童図書館のフェースブックのページに行くと、それらを読むこともできます。仕事部屋にもちょっとお邪魔しました。コロナウィルス感染症のため、一人一部屋があてがわれるようで、景色のよい素敵なお部屋でした。

そして本当にびっくりしたのは、イランの絵本作家で研究者のアリ・ブーサリさんにばったり会ったということ。彼に初めて出会った20年ほど前には、ボローニャのブックフェアにご自分で仕立てた刺しゅう入りのヴェルヴェットの長めの上着などを着て登場し、ペルシャの王子様のようでした。イランのイラストレーターを世界的にプロモートするための活動もずっと行ってきました。彼はミュンヘン国際児童図書館の研究者向けの奨学金を得ることができたので、現在図書館で『千一夜』の絵本、挿絵を研究中とのこと。地元の高校生と『千一夜』の主人公である『シエラザード』の音楽劇のプロジェクトにも関わり、先日コンサートが開催されたようです。

以下、図書館のフェースブックのページへのリンクを貼り付けておきます。

コンサートの写真なども掲載されています。

www.facebook.com

翌日は玲奈さんとガンツミュラー文子さんといっしょに優雅なレーヘル地区で夕食をとりました。外で地中海風にアレンジしたドイツ料理をいただいたのですが、真夏だったためか、アブが多く、文子さんが刺されてるという事件も!

お城の話に戻りますが、お城には図書館のスタッフの昼食も用意してくれているとてもいいレストランがあり、そこでお昼を食べました。柔らかく煮た牛ひれ肉とアンズダケの付け合わせ、とてもおいしかったです。

 

ミュンヘンの夏その1 ミュンヘン国立博物館、アルト・ピナコテクで出会った作品たち

 

今年の夏は久しぶりにイタリアを脱出し5日間ほどミュンヘンに行って来ました。

宿泊先は聖パウロ教会のすぐ近くの台所付きのSCHWAN LOCKEアパート・ホテルでした。ビールのお祭り、オクトーバー・フェストの会場、素敵なレストランやカフェのあるヴェストパーク地区には徒歩で行かれる便利なロケーションです。

第2次世界大戦中にアメリカ軍の爆撃を受けたため、歴史的中心街の建物のほとんどが再建されたものです。街中に自転車用の道が設けられ、そこを歩かないように気を付けないといけません。秋にも延長になったようですがすべてのバス、地下鉄、電車(特急は対象外)に乗れる月額9ユーロ・パスを利用して、色々な地区を訪れることができました。

街の中を流れる川沿いは公園になっています。水は浄化されてるので、夏は泳ぐことができます。ドイツでも雨が不足し、水位はかなり低かったですが、水浴びをしている家族や若者がたくさんいました。また、運河に流れ込む水の波を利用して、一箇所ちょっとだけサーフィングを楽しむことのできるスポットもあり、若いサーファーたちの腕前を見学することができます。

Surfing on Munich all Year even Winter... - Eisbach Wave, Munich Traveller  Reviews - Tripadvisor

バイエルン王家のヴィッテルスバッハ家が美術品のコレクターであったため、ミュンヘンにはたくさんの美術館や博物館があり、どれから見ようか非常に迷ってしまったのですが、インタネットにあったガイドブックのアドヴァイスに沿って、まずはバイエルン地方の美術と文化史を語るバイエルン国立博物館から見学することにしました。これは1855年にバイエルン第3代の王様、マクシミリアム2世(ヴィスコンティの映画で有名なルードヴィヒ2世のお父さん)によって創立された博物館で、お城のような豪華な建物の中にあります。

ここでみたゴシック時代からルネッサンス時代にかけて制作された宗教的テーマの木彫はどれも傑作です。特にティルマン・リーメンシュナイダー、そしてオットボイレンのマイスターと呼ばれている16世紀初期に活躍した彫刻家二人の作品が突出していました。

リーメンシュナイダーの、髪の毛に覆われたマグダラのマリアの昇天像を囲む天使たちは、平等院の雲中供養菩薩像たちを思い出させるようなものでした。

 

            

                                        

                    

 

十字架の下でキリストの死を嘆く(恍惚として)マリヤたちや聖ヨハネの群像は、その一彫り一彫りに祈りが刻み込まれているようです。

オットボイレンのマイスターは本名が分かっていないようなのですが、ボッティチェリなどイタリアのルネッサンス絵画の影響を受けています。その絵画的な浮き彫りのデザイン的な線の流れが全体を一つにまとめていて、まるで現代彫刻のようでもあります。パワーのあるこれらの作品をみて、ああ、もう一度木彫に集中してみたくなりました。いつそんな日が訪れるのでしょう。

 

 

翌日訪れた、これもヴィッテルスバッハ家のコレクションを中核としたアルテ・ピナコテクでは、晩年のボッティチェッリの『キリストの哀悼』を観ることができました。サヴォナローラの影響を受ける前の最盛期のボッティチェッリの作品と異なり、硬質な線で描かれていると評されていますが、アルプスを越えてイタリアにもやってきた図像に基づいて描かれた、聖母マリアのひざに横たわるイエス、の頭を抱えるクレオファの(または聖ヨハネの母である)マリアがイエスに頬ずりをしている姿がとても印象的です。

 

      

 

ミュンヘン国立博物館には、天使とともにパ・ド・ドゥを踊る幼子イエス像というものありました。優雅なエロティシズム、メランコリア(憂鬱)など、いろいろな感情を漂わせているリズムカルな作品です。15世紀末頃に制作され、作者は不詳です。

 

   

 

もっと調べてみないと詳しいことはわかりませんが、1513年に制作された、自動的に動く「アウトーマ」というロボットの発祥のような彫刻、『ライオンにまたがる死』という大型な彫刻も圧巻でした。レオナルド・ダ・ヴィンチも晩年にフランス王フランソワ1世のために、王家の紋章にある百合の花が胸から飛び出す仕掛け付きの、歩くライオンのロボットを作成したと言われています。

 

こちらは、下の方に刻んであるようにヴルムス出身のコンラート・マイトのアラバスターの彫刻、『ユディトとホロフェルネスの頭』。1525年頃の作品です。

アッシリアに攻め入られたユダヤ王国を救うために、ユダヤ人女性ユディトが司令官ホルフェルネスの陣営に乗り込み、彼の首を切り落とし、アッシリア軍は敗走します。この物語は特にバロック期に大変人気があり、カラヴァッジョや女流画家、アルテミージア・ジェンティㇾスキによって何度も取り上げられています。

ローマでは昨年末から今年の3月いっぱいまで、この画題を扱った16世紀、17世紀の傑作29点を世界から集めた展覧会が開催され、大変話題を呼びました。

タイトルは『カラヴァッジョとアルテミージア。ユディトの挑戦:16世紀17世紀絵画にみる暴力と誘惑』というすごいものでした。カラヴァッジョは殺人を犯し、アルテ三―ジャは絵の先生に強姦されました。この二人の個人的な体験が画面にダイナミズムを与えているということもあるのでしょうが、この時代は非常に治安が悪く、暴力的な行動が普通に見られるのでした。その様子を非常にリアルに、美的に描いたのがパトリス・シェロー監督のフランス映画『王妃マルゴ』ではないかと思います。

マイトのユディトはピエロ・デッラ・フランチェスカに代表されるような、ルネッサンスに特有な、理性的な姿で描かれています。野性的な本能に打ち勝つ理性を表す、寓意的な作品として読み取ることもできます。ユディトは気品ある貴族の女性として描かれ、マイトの師匠であったクラナッハやデューラーの女性の裸体像を彷彿とさせています。

アルテ・ピナコテク、絵画館ではアルブレヒト・アルトドルファーの『聖母マリアの生誕』という作品が特に気に入りました。これは宗教改革の始まっていた時代に描かれた作品で、アルトドルファーの、建築的な空間に対する興味がうかがえます。マリアの生誕の場面はこの時代の家の中ではなく、教会の中で展開しており、生まれたマリアの上を天使たちが輪を作って飛んでいます。まるで教会の中で画家が見た幻覚のようです。

現在フィレンツェのウフィツィ美術館にあるボッティチェッリの『神秘の降誕』にも輪を成して踊る12人の天使たちをみることができます。

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ボッティチェッリのこの構図はサヴォナローラの説教の内容に基づいているのだということが現在、分かっています。12人の天使たちはマリアの12の徳を表しているのだそうです。

                                     La mandorla illuminata e semovibile del Brunelleschi

 

アルトドルヴァ―の天使の輪は、1430年頃に建築家ブルネレスキがフィレンツェの大聖堂で展開した受胎告知の機械仕掛けの大スペクタクルにも想を得ているのかもしれません。宗教改革が普及する以前にはドイツの各都市でも、大がかりな宗教劇が行われていました。

 

 

 

 

 

第6回イタリアさわる絵本コンクールTOCCA A TE!

2021年9月9日より2日間にわたり、ローマのMAXXI国立21世紀美術館の別館にて、第6回イタリアさわる絵本コンクールTOCCA A TE!(あなたの番です、という意味。TOCCAREは本来「触る」という意味なので、「あなたにタッチ」と言った感じの訳がいいのかもしれません)の審査が行われ、大変光栄なことに審査員として参加する機会を得ました。

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このコンクールはEUヨーロッパ連合の助成を得て始められた、さわる絵本の製品化プロジェクトTYPHLO and TACTUSのさわる絵本国際コンクールのイタリア国内ヴァージョンで、2011年から隔年で行われています。TYPHLO and TACTUSは全ての子どもが楽しむことのできるデザイン性の高いさわる絵本の出版を専門としているフランスの出版社、Les Doigts Qui Rêventが2000年に始めたプロジェクトで、現在23か国が参加しています。そのミッションは視覚障がいだけではなく、そのほかの身体的障がいや精神的障がいを持つ子どもにもアクセス可能な、子どもたち全てを対象とした美しい絵本をプロモートすること。隔年の国際コンクールには、参加国の国内コンクールで受賞したプロトタイプが参加します。日本はまだ関わっていませんが、駒形克己の活躍する日本の参加はとても期待されています。

第6回イタリア国内コンクールに応募された絵本のプロトタイプは全部で136作品。

4月に予定されていたこのコンクールは9月に延期になったのですが、応募作品数は例年に比べて少なめでした。それはコロナウィルス感染症によるロックダウンで学校内での活動が停滞し、クラス単位で参加する児童生徒の作品の参加が少なかったためです。

学校のクラスの他、視覚障がい者の児童の教育に携わっている教員、視覚障がい者の児童のいる家族、視覚障がいをもった子どもや大人、図書館の司書、アーティスト、イラストレーターらなど、色々な人たちや団体が情熱をもって作った作品を応募してくるので、非常にインクルーシブな性格を持ったコンクールとなっています。 

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応募の規定はとてもシンプルです。寸法に対する制限はなく、作りがしっかりしていて子供にも読みやすいものであること、使用フォントのサイズは16以上、イタリア語の文字のテキストと同じ内容のイタリア語の点字のテキストを入れる、挿絵の入ったページは表紙を除き、12枚を超えてはいけない、使用する素材は安全なものであること、バインディングに関しても制限はないが、見開きページは触察による読書がしやすいように、平らな面に完全に開くように綴じること、などです。

審査団は視覚障がい者、視覚障がい者教育の専門家、児童文学の専門家、触る絵本の編集者、父母代表、司書などによる大人のグループと、視覚障がいを持った児童と健常児による子どものグループの二つによって構成されています。

今年の大人審査員は全員で17人。委員長はミラノの視覚障がい者支援施設のデイレクター。副委員長はさわる絵本の専門家であるパドヴァ大学教育学部教授と、視覚障がいを持つイタリア文学、哲学の高校教員。ジェノヴァで開催された第一回目から参加しているアッシジ、フィレンツェ、レッジョ・エミリア、トリエステの視覚障がい教育の専門家の人たちもいました。子ども審査員会には8歳から14歳までの子ども8人が参加。そのうち5人が視覚障がいを持つ子どもで、聖アレッシオ視覚障がい者支援施設の教員2人がコーディネータとして参加しました。

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コンクールのオーガナイザーは、イタリア全国の小中学校や高校に通う視覚障がいを持つ児童生徒のために立体的な教材を制作しているFederazione nazionale degli istituti pro-ciechi、イタリア全国視覚障がい者支援施設連盟です。イタリアでは1977年に障がいのある子どもの普通の学校への受け入れと、そうした子どもたちのための専門の補助教員制度が始まります。それに合わせて各州で様々な団体が教科書を点字に翻訳するサーヴィスを始め、連盟では特に教室で使うグラフや表、地図などの立体的な教材の製造を開始しました。そして2004年からヨーロッパのTYPHLOとTACTUSのメンバーとなり、受賞した絵本を中心にさわる絵本を編集、制作、出版するようになります。また、手で触って読んだり鑑賞するという行為をプロモートするために『指先でお散歩』というさわる絵本のワークショップ付きのさわるアート展をイタリア全国に巡回させています。

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審査は2日間にわたって行われました。一日目の午前中はレゴ・ファウンデーションが2020年より各国の視覚障がい者支援団体などを通じて、視覚障がい者の子どもに寄贈しているレゴ点字ブロックの使用法に関する講習会が行われ、審査員のほぼ全員が参加しました。レゴブロックは、レゴがこの製品を開発する前から、多くの教育者がブロックの突起を削り取って既に利用していたのだそうです。遊びながら点字に親しむことのできる面白いゲームがたくさんあり、いかにこれらのブロックが効果的であるかが実体験できました。

午後からの審査はまず、136の応募作品の中から、9つの賞の候補となりそうな20作品あまりを選び出すという作業から始まりました。選び出されたのは28冊の作品。翌日は28作品に関し、グループに分かれて議論をしながら、一人一人が0から5までの点数を個人的につけるという作業が行われました。そして上位20作品の中から、賞に該当する作品を全員で選んでいきました。大人たちのこの作業は、子ども審査員の方の審査も参考にしながら行われました。

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熱烈な議論をくぐりぬけ、「イタリア最優秀賞」に輝いた絵本は、子ども審査員もとても気に入っていたLibro scatenato (自由になってあばれる本)。アフガニスタンにおける女性と子どもたちの人権侵害の報道に触発されて制作されました。子どもが子どもとして生きる権利は絶対に守らねばならないと訴えた勇敢な絵本です。本についている長い鎖を閉じている錠前には、希望を表す鍵がついています。作者は視覚障がい児童の教育に携わっているサルデーニャの先生とその姉妹。本当は別のテーマの本を制作していたのですが、アフガニスタンのニュースを聞いて子どもたちに何かを伝えないといけないという使命感に駆られ、急遽テーマを変更してこの本を制作したと授賞式で語ってくれました。

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「アーティスト絵本賞」は今回は特別に2冊選ばれました。1冊目は2015年、第3回目のコンクールの最優秀賞を受賞したマルチェッラ・バッソの最新作の布絵本、Diversi (ちがっていてもいい)です。2015年の作品は、二人の読者(見える人と見えない人)が向き合ってすわり、お話を読みながらポケット状になっているページに手を入れ、ポケットの中でお互いの手が出逢ってリすれ違ってりする絵本なのですが、今回の新作は3人で読む大型のポケット状布絵本でした。テーマは変化する人間関係。コロナウィルスのロックダウンン中に制作された作品で、人間同士に繋がりに関する彼女なりの考察が詩的に表現されています。使用された布は全て白が基調ですが、触ると一つ一つのテクスチャーが違うのが分かります。マルチェッラはヴェネツィア美術アカデミーで装飾を専攻し、触る絵本に関する論文で卒業しました。ヨガを教えながら視覚障がい児の教育や、さわる絵本に関する様々プロジェクトに携わっています。

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2冊目は2015年のコンクールに参加し、連盟によって出版されることになったPapu e Filoの作者、 ロベルタ・ブリッダによるCosa fa l’architettura (建築ってなあに)という絵本。駒形克己のさわる絵本に想を得ており、子どもたちに建築の様々な概念を詩的に伝えています。それは、「一人にしてくれる」「守ってくれる」「迷路の中につれていく」と言ったものです。ロベルタはヴェネツィア大学の建築学科でアーティスト絵本について勉強し、卒業後も本に関する様々な実験を続けています。この作品にはLibro scatenato (自由になってあばれる本)とともに「イタリア最優秀賞」を争い、多数決により敗れてしまったために「アーティスト絵本」賞を受賞することになったという裏話があります。

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「教育的な絵本賞」は、就学前の児童に向けた連盟の布絵本シリーズ「かたつむり」の作者、マルティーナ・デシェンツィの布絵本、Triangoletto e Tondolino(さんかくさんとまるちゃん)に与えられました。本の中で仄めかされている点字の構造を遊びながら無意識に学べる、実に巧妙なおもちゃ絵本です。

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「就学前の児童のための絵本賞」を受賞作品は Le cravatte di Papa’ (お父さんのネクタイ)。毎日気分に合わせて違うネクタイをしめるお父さんがテーマの軽快な調子の詩に導かれ、色々なデザインや素材を楽しむことができるようになっています。

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「子ども審査員賞」は炎をテーマとした絵本、Una casa per Fiammetta (ほのおちゃんの家さがし)。この絵本は大人による審査の予選を通らなかったのですが、火事などの大惨事を引き起こしてしまういたずらもののほのおちゃんが、パン屋さんのかまどという心地よい居場所を見つけるというお話に、子どもたちはとても感動したということです。芸術的な質は問題とせず、ストーリーの素晴らしさに着目した子どもたちに大人審査員たちは大変感服しました。

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スペシャル・メンション「ハートの絵本賞」は、視覚障がいを持つ子どもや大人の教育に携わる人たちによって制作された最優秀絵本に与えられる特別賞です。ペルージャのオペラ・ドン・グワネッラ視覚障がい者センターで制作された絵本は、コロナウィルスによるロックダウン中に施設に通う青年たちがどんなことを感じとったのかを描いたものでした。

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文化財文化活動省の協力を得て今年から新しくできた「文化財をテーマとした絵本賞」を受賞したのは Il Museo Palatino – Accarezzare la storia di Roma(パラティーノの丘博物館:ローマの歴史を撫でる)。コロッセオとパラティーノの丘を訪れる視覚障がい者のためのさわれるガイドブックです。古代ローマの歴史、考古学者の仕事、そしてパラティーノの丘の主要な遺跡が分かりやすく説明されています。制作者はAtipiche Edizioniという、多感覚応用の本や教材などのデザインを専門とする出版社です。[この触察ガイドブックのヴィデオはhttps://www.facebook.com/parcocolosseo/videos/205958001114770 で見ることができます。]

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「最優秀布絵本賞」に輝いたのは、このコンクールで過去にも受賞しているダニエーラ・ピーガの Pepe senza coda (しっぽのないうまぺーぺ)。しっぽのないぺ―ペは色んな素材のしっぽをおしりにつけてみますが、風のしっぽという目に見えないしっぽをつけてみると、空まで飛んでいくことができたというお話です。他の人と違って何かが欠けていても、想像力を飛ばす力は誰にも負けないのだと伝えているかのようです。この絵本は編集を要する箇所がいくつかありますが、連盟のさわる絵本シリーズの一冊としての出版が望まれる作品の一つです。

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二日目の午後の受賞式は人数制限があり、参加者数は約40人。受賞の連絡を受けて、遠くからローマに駆け付けた受賞者もいました。受賞したさわる絵本たち、そしてコンクールに応募したすべての作品は翌日の美術館閉館時間まで自由に見ることが可能でした。

自分が一番気に入った絵本は受賞した建築の絵本としっぽのない馬の絵本、そして上位20作品には含まれなかった一冊、Jani LunablauによるIsola (島)という作品でした。小さな島の小さな家が海水が増加することにより、やがては消えていく、また後ろからめくって読めば、氷が戻って家が再び現れる、というテキストのない造形絵本です。他の審査員に聞いてみたところ、自分も気に入ったけれど視覚障がい者には非常に分かりにくい形だから選ばなかったと言われましたが、気候変動のテーマを表現した素晴らしい作品だと思いました。

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*photo credits: libri tattili illustrati on FACEBOOK and Ayami Moriizumi

 

レオの少年時代の家 そして自分の子供時代のことなど

レオ・レオーニ(リオンニ)は子どもの頃からアーティストになることを

夢見ていました。

生計を立てるために広告デザインの世界に入っていきますが

イタリア、そしてとくにアメリカで

広告デザインをアートの一つのジャンルとして高め、

広告の世界の中に純粋芸術を持ち込み、

ナチズムを逃れてアメリカに亡命した多くのデザイナーとともに

アメリカのグラフィックデザインのクオリティーを高めてきました。

レオ本人のグラフィックデザインの作品は

特にモザイクの技法に対する考察の中から出てきた考え方が応用されています。

週末や仕事の合間には油絵に打ち込み、

だんだんと画家としての自分の姿を仕事と平行して構築していきます。

そして『あいちゃんときいろちゃん』という絵本を出版したことから

絵本作家としての自分を発見し、

アメリカに対するわだかまりにようなものをふっきり、

(妻のノラの父がイタリア共産党の創始者の一人であったことからも

イタリア共産党系の知識人との交流があり、

赤狩りの標的となったり、自分のデザインした

ブリュッセル万博アメリカ特別館の展示が公民権運動に言及したため

シャットダウンされるなど色々なことが重なりました)

子どものための絵本の中で人類に対し発言をしていけるのだという

可能性を見出します。

(絵本という媒体のポテンシャルには驚かされっぱなしです)

50歳になったレオはアメリカでのデザイナーとしてのキャリアに

終止符を打ち、芸術の国、イタリアに戻り、

子どもの頃から思い描いていたアーティストとしての自分の姿を

少しずつ完成させていきます。

 

レオは子どもの頃に目にしたフォルム、テキスチャーを

気味が悪いほどよく覚えていると言います。

幼い頃に頭の中にどんどん作り上げていったヴィジュアルな記憶アーカイヴは

実物を見ないで描くというレオ独自の技法の基盤となっています。

自伝の中やインタビュー、雑誌記事にたびたび登場する

アムステルダムの少年時代の家。

この家を軸として過ごした少年時代の活動や進歩的な小学校教育が

アーティストのレオの形成に大きな影響を与えました。

父親がダイヤモンド細工師から会計士に転向した際に一家は

市立美術館のすぐ近くの、

1902年に建設された赤いレンガの建物の

3,4階と屋根裏にまたがるアパートに引っ越します。 

自伝に写真が掲載されていますが、

住所は美術品コレクターだったレオの大叔父さんのコレクションの

展覧会カタログにて発見することができました。

それは大叔父さんが、前衛絵画作品を購入しては

脱税対策として親戚の家に作品を預けていたからで、

誰の家にどの作品を預けたかを記録した

大叔父さんのノートにレオの家の住所も書いてありました。

Van der Veldestraat 7番地です。

https://www.funda.nl/huur/verhuurd/amsterdam/appartement-87987944-van-de-veldestraat-7-bv/

(改装されたアパートの中の写真を見て

レオがどんな環境の中で育ったか想像することができます。)

レオの家にはなんと、現在市立美術館にある、

ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の元となった

緑色の顔をしたシャガールの大型のヴァイオリン弾きの絵が

預けられ、レオの部屋の外の廊下にかけたれていました。

この絵は自分の物語つくりの源となったと自伝の中で語られています。

https://www.stedelijk.nl/en/collection/753-marc-chagall-le-violoniste

 

小学校教育はモンテッソーリやフレーベルの影響を受けて

科学と芸術を同時に教える学際的なものでした。

レオは自分の部屋にも自然世界を再現したテラリウムをおき、

「自然は芸術の師なり」というモットーがそのまま名前となっている

アムステルダムの動物園と同名の近所のペットショップで購入した

ネズミ、ワニの赤ちゃんなどの小動物を飼っていました。

フレデリックやコーニリアスたち、そしれ彼らの世界は

子どもの頃の趣味や遊びの中から登場したのでした。

レオは小学校の授業で制作した粘土細工のキノコの群像も

『平行植物』を予兆しているかのようだと回想しています。

 

レオは、人間の人物形成にとって12歳までの教育が

圧倒的な影響を与える、と言っています。

レオの子ども時代はまさにそれを証明しています。

これをもとに自分の子供時代のことも考えていました。

考えているうちにその姿を大きく露わにしたのは

やはり自分の通っていたニューヨーククイーンズ区の

教区の小学校の宗教の先生です。

シスター・メアリーアン(80年代に還俗したと聞いています)の宗教の授業は

自分で探求をしていくことを許される自由研究の時間でした。

用意されていたのは神学、ユダヤ人の歴史、キリスト教史、考古学、宗教美術の

イコノグラフィーに関する課題カード。

子どもたちはどんどんカードに書かれた課題をこなしていき、

作文を提出したり、オーディオ教材を聞いて

質問に答えていくのでした。

美術史の研究者の端くれとしての自分の形成期はここにありました。

同じクラスにいたインド系のミタもフランス宗教史の研究者となり、

現在ヴァッサー大学で教鞭を執っています。

背景には土曜日の日本語教室やピアノのレッスン、

(奥村先生、すばらしかったです。)

妹と弟に毎晩語ったジェニーとチャーリーという架空の兄弟の冒険物語、

そしてどの日本の銀行主催か忘れましたが

毎年ニューヨークの日本人学校が対象となっていた絵画コンクール。

これには毎年作品を提出していたのですがなかなか入選できず、

いつものクレパスではなく水彩画を使ってみたらやっと入選でき、

とてもうれしかったのを覚えています。

教区の学校では実践的な美術教育は皆無で、

使ったことのなかった水彩絵の具を

(クレパス感覚で)油絵の具のように使ってテラスから見える風景を描きました。

ニューヨーク在住の画家であった日本語教室の斉藤先生に、

「いやあ、ずいぶんと塗り込んだねえ」、とコメントされ、

顔が真っ赤になったのを覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

LEO LIONNI  1952年作  "World on View" ポスターについて

 

 

              

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このポスターは印刷されたものしか残っていませんが、原画は黒、青、オレンジの3色によるシルクスクリーンであったと、スイスのグラフィックデザイン雑誌「グラフィス」、1952年44号に掲載されたレオのポートフォリオに記載されています。

レオがボローニャでの個展や自伝にも自身のグラフィックデザイン作品の代表作として掲載しているこの作品は、1952年1月末にニューヨークで開催されたユネスコの第3回アメリカ国内執行委員会会議(The Third National Conference of the U.S. National Commission for UNESCO )を記念する美術展のシンボルとして使用され、シルクスクリーンの原画は展覧会のロカフェラ―センターのオープニングセレモニーにて、ユネスコのハイメ・トレス・ボデー事務局長によりお披露目されました。

ユネスコの美術館委員会とニューヨークの美術館連盟によって企画されたこの美術展「世界をみわたす」(World on View)は、ニューヨーク五番街に面した約100の店舗のウィンドーに展示されました。参加した美術館のコレクションから選ばれた展示作品は、会議のテーマに沿ったものが中心でした。

「無知との戦い」、「世界の教育レベルの向上」などのテーマの他に、ユネスコと芸術との関わりを取り上げた第3回会議には多くのアーティストたちが参加しています。そして、世界のアーティストたちがいかにして世界平和や様々な文化間の相互理解を深めるのに貢献しているか、またユネスコがその後どのようにしてそれを促進していけるかどうかが討論され、世界のアーティストたちの交流プログラムを企画したり、ビジュアルアーティストたちの国際団体を作っていく必要があるのではないかと提唱されました。[註 <<U,S,National Commission Unesco  News>>, Feb.-March 1951, Vol.5,n.8, p.18;<<Art Digest>> Vol. 26, N.9,Feb.1, p.5, p.14. レオは1962年にもアメリカ国内で開催されたユネスコのポスター・コンクールの審査員を勤めている。]

作品を作るということは、社会的、政治的メッセージを発することに等しいと、とレオは言いました。アーティストはこの重要な役割の重さをしっかりと自覚する必要があるのです。アメリカがヴェトナム戦争の只中にあった1968年に出版した『あいうえおの木』はレオがまさに、アーテイストとして世界平和に貢献した作品なのでした。

 

 

 

2020年3月15日 シャットダウン中のローマより

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みなさま お元気でお過ごしでしょうか。

こちら、美しい光の差す、すばらしい春の朝です。

私はローマの、比較的緑の多いプラーティ地区に住んでいて

幸いなことに、コンドミニアムにはお庭があり、

子どもたちが遊んだり、1メートルの距離を保ちながら

散歩をする人も見かけられます。

昨日は体温計を買いに外出しましたが(すでに壊してしまいましたが)

ショッピングバッグを手にお散歩をしているお年寄りたちに大勢会いました。

現在、外出は生活必需品の買い物や犬の散歩など、必要な場合のみ許されています。

そのため、買い物に行くつもりはないのに買い物袋を手に持ったり、

犬を飼ってないのに犬のリードを持って外出する人がいるのだそうです。

お年寄りにはマスクをしていない人がたくさんいました。

マスクは病気になった人が基本的にするもの、

という考え方がメインでしたが、今では誰もが着用するようにと勧めらてています。

マスク着用が普通のこととみなされ、日本人観光客も今後、マスクをしていても

気味悪がられることもなくなるでしょう。

 

ローマの街は、歴史的中心街を離れると、ゴミ箱の外にゴミが山積みになっていたり、

犬の糞が散乱していたりと、とても非衛生的な街です。

しかも歩道も車道も穴だらけで、ころんで骨折をした知人が大勢います。

(ローマはいつぞやか、道路建設の最先端を行く街ではなかったかしら)

横断歩道はどこにでも駐車をする車にブロックされ、

ベビーカー、車椅子での移動も非常に困難です。

この地区には裁判所があることから弁護士や会計士が多く、

国営放送RAIの本部があるのでテレビ、映画関係者が多く住んでいます。

なので、教育レヴェルがどうこうというのは一切関係なく、

ローマ人自身が自分の街を大切にしていない、ということになります。

 

ローマ市の市政が全く機能していないと批判する以前に

ローマ人自身が自分たちのこの美しい街をもっときれいに保つことを

始められればいいのになあ、と日々思います。

(小中学生は教科書が重たいので、キャスター付きのかばんを使ってますが、

靴も含め、何度こどもたちのかばんのキャスターを洗ったことか。

地区に「デカ鼻」と呼ばれている水道がそこここにありますが、

これがなかったら大変なことになってました。)

各地区でRETAKE住民運動が公園の整備やごみ拾いを定期的に行っていますが、

小規模なので、あまり改善は目に見えません。

 

今回の感染ではしかし、規則を守らないことがかっこいいのだとまで

考えられているこの街の人たちを、(恐らく一時的に)変えるに至りました。

スーパーに行くと、みなちゃんと1メートルの間隔を保って静かに並んでいます。

しかも、ほぼ全員がマスクを着用。

まっすぐな列を作る、という行為はローマ人の最も苦手とするところです。

かつて筆者は子どものための英語学校に勤めていましたが、

夏の集中講座の時に子供たちを近くの公園に連れていくのに

列に並んで歩かせるのは、至難の業でした。

縄跳びのひもを長くして、それにつかまってもらう方式もだめでした。

犬の糞の始末ももゴミの捨て方も、ちゃんとしないとあなたの生命にかかわりますよ、

と脅かさないといけないみたいです。

 

フェースブックやインタネットでは、イタリア人が金曜日から午後6時になると、

テラスや窓辺に出てみんなで医師、看護師に対して拍手をしたり、

国歌を歌ったり、楽器を弾いたりとという様々な場面がアップされ、

世界中の注目を浴びました。

初日はうちのコンドミニアムでも、リードをとった住人のタンバリンを伴奏に、

みんなで国歌を歌いました。

(昨日のチェレンターノの課題曲AZZURROはしかし、

あまりうまくいきませんでした。

本日の課題曲は リーノ・ガエターノのMa il cielo è sempre più blu 

 

しかし、家の中にとどまらないといけない、という規則は

家庭内暴力を悪化させてしまいます。

ミラノのボランティア団体では、かかってくる電話が減り、

それは電話ができなほど深刻な状況になっているという印なのだと言っています。

刑務所では面会ができなくなったことに対し、各地で暴動が起きました。

また、ホームレスの人たちや物乞いの人たちもサポートしなけれないけません。

一人暮らしの、全く身寄りのないお年寄りたちのことも心配です。

そういう意味で、イタリア人が近所の人たちと

窓越し、テラス越しのコミュニケーションを取り始めた、

というのは本当によいことで、お互いのめんどうをみるということが

自然に行われるようになっています。

 

明日から筆者もオンラインで英語、日本語の講義を始めます。

中学、高校でもオンラインで授業をしているところがたくさんあるそうです。

姪っ子たちは毎日ワッツアップで宿題がどんどん送られてくるので

悲鳴をあげております。

 

飛行機から車まで、交通量が減り、空気の吸いやすいローマです。

 

この状況が早く終わりますよう、お祈りしています。

社会が崩れないように仕事を続けている人たちに感謝します。

トンネルを抜け出した時にはしかし、

この危機から学んだことが記憶の中にしっかりと残り、

いい未来を作っていくための糧となりますように。

Amen.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボローニャ国際絵本原画展 取材雑記 その2


*その1からの続きです

ポーランドのマチエイ・ピリニヤクさんは、
「二人の姉妹」というかわいい名前の出版社の編集者です。
彼はそれぞれの作品を本当に丁寧に見ていて、
メモをたくさんとっていました。
彼の出版社はポーランドで絵本コンクールもやっているので
絵本というものが社会や生活の中で
どういう役割を持っているのかについて、
とても明確な考えを持っています。
絵本は何よりも、子どもといっしょに
時間を過ごすための大切な手段であると
語っていました。
絵本は、携帯やコンピューターと違ってクリックしても
スワイプしても音は出ません。
(もちろんそういうものもあいますが)
大人が手にとって読んであげなければ特に語りの部分は
機能しないのです。
絵本を読んであげられる大人である私たちは
まさに絵本の主役となることができるのです。
この「不思議」のおかげで、絵本は地球上から消えることは
ないだろうということです。
Dwie Siostry publishing で主催している隔年の絵本プロジェクト
コンクール、クレアヴォイアンのページです


とにかく素晴らしい5人でした。
5人ともとてもお互いに対して優しく、
一生懸命に話を聞いていました。
展覧会には5人全員の個性的な意見が
すべて反映されています。
主催者側はこれでは審査は3日で終わらないのではと
ハラハラしましたが、
とても優秀なプロフェッショナルである彼らは
最後のほうでものすごい勢いですべてをまとめあげました。

そして入選者の皆様。
今年のインタビューには日本で勉強した海外の入選者にも
参加していただきました。
それぞれがとても面白い世界を持ち、
絵本に対し、特別な思いを持って制作している姿が
描き出せたのではないかと思います。


入選者、絵本作家東郷なりささんの入選作品
「きょうはたびびより」福音館月間絵本
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背景にはリノリウム、鳥たちはすべて
消しゴミはんこが押されて制作されています


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『はかれないものをはかる』の工藤あゆみさんの作品
審査中の写真です
子育てを一生懸命している自分に
かけてほしい言葉たちがテーマです
審査員講評で、ハリエットさん、アレッサンドロさんの
二人の審査員に選ばれた作品です

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講評会の後の入選者受賞式で
お嬢さんと賞状を受け取る
あゆみさんの姿です