ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2008年 3月25日 豚さんとボローニャの関係

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ボローニャを形容する言葉には「ラ・ロッサ」(政治的には右派よりも左派系)、
「ラ・ドッタ」(ヨーロッパで一番古い大学があることから、「教養豊かな」)、
そしてボローニャで学生時代を過ごした詩人ペトラルカによる「ふとっちょの」
という言葉があるが、
ボローニャの街は世界的にもそのこってりとした数々の食品で知られている。

その中で多くのイタリア人がすぐに思い浮かべるのは
モルタデッラという大きな丸いピンク色のハムだろう。
(「モルタデッラ」はボローニャ出身のぽっちゃりとした
元首相のロマーノ・プローディのあだ名でもある・・・)
これはアメリカのboloneyというハムの元祖だ。
今回の国際絵本原画展用のドキュメンタリには
食をテーマにしているイラストレータに登場していただくということで
ぎりぎりで調査を始めたのだが、
ボローニャのハム・ソーゼージ作りの歴史は古代ローマ時代まで遡るらしい。
ボローニャとその周辺は昔から豚の産地であり、
考古学博物館にも豚飼いがハムを作るために
大きなすり鉢のようなものに豚肉をすり潰している場面の
浮き彫りがあるのだそうだ。
(モルタデッラという名の語源は、
まさに肉を砕くためのmortarioという言葉らしい。)
ハム・ソーゼージ作りの職人のギルドは13世紀に遡り、
この頃からすでにモルタデッラというハムが定着していた。
豚肉そのものは貴族階級ではあまり注目されてはいなかったのだが、
モルダテッラは17世紀に入ってからは絹織物と共に
ボローニャの高級な特産品の一つとなり、ヨーロッパ中に輸出されるようになった。
その製法の秘密はギルドによって何世紀も守られ、17世紀にはすでに
ギルドによる品質の検査が行われていた。
現在の「ボローニャのモルタデッラ」は92年ヨーロッパ共同体により
「保護指定地域表示 」IGP (Indicazione geografica protetta)の特産品として
認可されている。
使用されるのは肩の肉、四角い油分は豚ののどの部分でできている。
17世紀まではナツメグなど色々なスパイスが入っていたらしいが
現在は胡椒やピスタチオなどに限られている。

「モルタデッラ」はマリオ・モニチェッリの1971年の映画のタイトルでもある。
アメリカに移民するためにやってきたソフィア・ローレンが
一足先にアメリカに行っていた婚約者のために
自分のつとめていたハム製造工場のモルタデッラを一本丸ごと
持って来たのだが税関で引っかかってしまうという話だ。
(・・・日本はハムを持ち込むことはできるのだろうか?
生ハムがだめなのは身を以て知った!
この映画はあまりいい評を得なかったが、テーマ的にはけっこう
切実で、一度みてみたいと思う。)

モルタデッラはトルテッリーニの詰め物には欠かせない材料の一つ。
トルテッリーニの伝統を守ることを使命とする
「トルテッリーニ信徒会」によるとその詰め物には:
豚腰肉(lombo) 100グラム
生ハム 100グラム
モルタデッラ 100グラム
パルメザンチーズをおろしたもの 150グラム
(最低3年寝かせたパルメザンである場合。それ以下は量を増やす)
卵、ナツメグ、バターなどが入っていて、
スープは去勢した雄鶏(cappone)と雄牛の肉をベーズにしたものがおすすめ。
生粋のボローニャ人は、トルテッリーニをスープに浮かべて食べる。
ラグーや生クリームで食べたりするのはボローニャッ子にとっては冒涜行為!
トルテッリーニはボローニャとモデナの間あたりで発明されたと言われている。
ので、その起源についてはモデナ人とボローニャ人の間で今でも争いが・・・
トルテッリーニの形はヴィーナスのおへそを模したものだとも言われている。
クリスマス前になると、各家庭でトルテッリーニ作りが始まる。

豚さんと言えばもう一つ、ボローニャでは「子豚丸焼き祭り」というお祭りが
ナポレオン進軍の年まで約五世紀続いた。
これは1249年に神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世の息子、「エンツォ王」が
ボローニャ軍の捕虜となったのを記念するお祭りだと言われていて、
1254年以降、毎年8月24日聖バルトロメオの祝日には
ボローニャの宮殿で大宴会が開催され、広場では競馬や劇、曲芸などが展開され、
市民には無料でパンやワインなどが配られ、
現在の市役所宮殿のバルコニーから子豚の丸焼きが
広場の群衆に向かって投げられた。
最近の研究ではこのお祭りが夏から秋への季節の変わり目を祝う
古い儀礼に遡るものだと言われているが、
ボローニャの若い女の子たちの胸をときめかせた
長い金髪の美しい捕われの王子の思い出にまつわるお祭りだと考える方が
なんともロマンティックである。
・・・
ボローニャに滞在しはじめてすぐに指導教官のところへ行き、
研究テーマの相談をしたところ、
この豚のお祭りもいいテーマではないかと言われたのだが、
私はその時今でも行われているお祭りなのだと思い込み、
勇んでボローニャ市役所の観光局に飛び込み、
情報収集をしたいと頼んだところ、
そんなお祭りは聞いたこともありません、と言われた。
当時住んでいたマッサレンティ通りの中庭の
近所のイーヴォじいさんにも聞いたが
「そんなお祭りがありゃ、ぼくはバケツ持って行ってただろうよ!」と
言われたのを思い出す。
この話を同居人たちにしたらげらげら笑われた。
卒論のテーマは結局別のお祭りに決めたのだったが
卒業した時、元同居人たちにもらったプレゼントは
1738年の豚さん祭り用パンフレットの復刻版だった。