ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

ミケーレ・マリの作品に見るイエラ・マリの姿

絵本作家のイエラ・マリは、2010年のボローニャブックフェア期間中の
展覧会にて、初めてその原画が紹介され、
イタリアでは改めて「再発見」された作家であると言えます。
その文字のない絵本、生命の循環を描いた絵本は
何度「読み」なおしても見飽きませんし、
見るたびに何か新しい悟りのようなものを得られる作品たちです。
イエラは今年の1月末に亡くなってしまいましたが、
一体彼女がどうしているのか、まだ存命中であるのかも、
2010年の展覧会が開催される前までは分かっていませんでした。

相棒がイエラ・マリ展を日本でやると決意し、
イエラの展覧会を企画したイラリアたちと
ミラノにひっそりと住むイエラを訪れました。

イエラのアパートは最上階にあり、
小さな窓からは屋根がたくさん見えていました。
空間は白く、静かで、まるでそこは時間がとまっているかのようでした。
銀髪のおぱっかのイエラはまるで少女のようで、
口数は少なげでしたが、日本からのお客さんということで
私たちを暖かく迎えてくれました。

イエラは一体どのような人だったのでしょう。

イエラと長い間一緒に仕事をしてきた編集者、
ロゼッリーナ・アルキントは、20年間の付き合いの中で、
一体イエラが具体的にどういう人なのか、
あまりにも無口だったのであまりくわしい話もついに
聞くことはできなかったということです。
一体どういう家庭に育ったのか、どういうご両親だったのか、
どういう青春時代を過ごしたのか。
自分のこどもたちの話はよくしていたそうなのですが、
私生活については一切口にしなかったということです。

そうしたイエラについて、調べている最中に
小説家である息子のミケーレの、
こども時代について書いた小品集の中に、
母、つまりイエラ本人の姿が発見されました。

イエラの趣味はジクソーパズルの組み立てで、
ミケーレはある歳からそれに参加するようになりました。
それはすべて、名画のパズルで
ミケーレはこれらのパスルを通して
とても自然な形でヨーロッパの美術史を学び(体得し)、
それぞれの作品のディテールや色の使い方、
筆さばきや光と影のの加減を完璧に身につけることがてきたと言います。

修行は750ピースからはじまり、
だんだんと上達するうちに4000,5000、
8000とどんどんエスカレートしていきます。
(しまいには、自分たちで絵を選び、パズルを注文するに至ったそうで、
7万2000ピースのパズルまで作ってもらったということです。
パズルの組み立てには計算された方法があり、儀式のようにそれに沿って
組み立て作業が行われました。

ミケーレは、パズル組み立てのテクニックをどんどん身につけていき、
修行6年目にして、母は息子が自分よりも上手になったと認め、
抱きしめます。
そのテクニックとは幾何学や古典ギリシャ語の修練のように
積み重ねて行くことによって身に付いていくもので、
ある高みに到達すると、「テクニック」は脱ぎ捨てられて
動物的な快感を覚えるようになります。

イエラは母親として、息子がそこに到達したことを
どんなにか喜んだことでしょう。
その到達点とは、「想像上の影のようなもので、
テクニックが排除されたときに現れ、
動作の絶対的な純化を伴い、
どのピースであってもそれがどこに行くべきものなのか、
その破片がまったく空の空間の中で
どの位置に属する物なのか、
頭で考える前に知覚できる状態」のことなのでした。

ある時点からもともとの絵を見ないで作業が進められ、
まるで絵をなぞるような形で、
いろいろなパズルが組み立てられていきました。
さらに上達すると、似たような二つの絵、たとえば同じ画家のよる
二つの違った聖母マリアの絵のパズルを混ぜて、
同時に二つのパズルを完成させるということを行い、
しまいには絵のないパズルを薄暗闇の中で、触覚を頼りに組み立てる・・・

パズルは完成するやすぐに解体されて箱の中に保存されていったそうです。
究極の遊びとして、たくさんの箱の中から一つのピースを取り出して、
それがどの画家の、どの絵で、いつ描かれて、
どこにその絵があって、その破片が
絵のどの部分かどうかを当てる遊びが
二人の間で展開されたと言うことです。

そういう、修練の大切さ、その聖なる様を知っているイエラゆえ、
それがどんどん解体されつつある
外界と接するのをあまり好まなかったのかもしれません。
イエラが日本に憧れていたのは、
花牟礼亜星さんと出会い、
discipline に対して日本人が敬虔な民族なのだと
理解したからなのでしょう。
ミケーレのこの文章を読んだためでしょうか。
イエラの描く線が更に美しく、崇高な輝きを放ちます。

Michele Mari, Tu, sanguinosa infanzia, Einaudi, Torino 2009
"Certi verdini" 
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