ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2008年 11月6日 Two Decades in Italy 伊滞在20周年

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大きなワードプロセッサーをしょい、カメさんのような出で立ちで
イタリアに降り立ったのはちょうど20年前の今頃。
(今の留学生は軽いラップトップですね。
あのサンヨーのワードプロセッサーは縦書きができるのと
確かイタリア語のアクセントの打てる唯一の機種だったような
気がします。5キロ以上の重さでした。)
一番最初に訪れたのは外務省。
イタリア政府の奨学金をもらう手続きを済ませ、
全国の国立の美術館に無料で入れるパスをもらう。
翌日ボローニャ行きのインターシティーにのり、
夜の10時頃にボローニャ到着。
街は牛乳のように濃い霧の中に包まれていて視界はほとんどゼロ。
市役所宮殿の茶色いレンガがちょっと見えただけで、
まるで夢の中を歩いているようだった。

翌日の朝に発見したボローニャの街の
赤やオレンジ色は薄い霧の中ににじんていた。
「死者の日」だったのでまず訪れたのは
サン・ルーカのマドンナの丘の足下にある
チェルトーザの墓地。
お墓参りに来ている親族がたくさんにて
墓地はロウソクや花で飾られていて美しかった。

大学の文哲学部には聴講生として登録し、
学食で出会ったルチーアと言う古典文学の学生と仲良くなる。
彼女を通して知り合った別の女の子の友達の友達が未来の夫。
(only 3 grades of separation!)
20年前の今頃、ルチーアに会っていなければ夫と出会うことも
なかったのだろうか。

今朝スーパーで「カキ」を購入。
イタリアのカキが実は中身がべっしゃべしゃであることを知らず、
(どちらかというとアメリカのパーシモンに近い?)
学食で出たものが食べきれなかったので
家に帰ってから食べようと思い、
器をひっくりかえしてかばんの中にほうりこんでしまったのを思い出す。
みんな食べるのに夢中で見ていた学生はいなかったようだが・・・
現在は日本の柿に似た硬いものも出ているが
日本の柿ほどおいしくはない。

柿と言えばまた
今は亡き幼馴染みの肖像画の背景に
日本の家の柿の木の枝を描いたのを思い出す。

ボローニャではなかなか下宿先が見つからず
しばらく他の日本人留学生のところにお世話になった。
彼にはご飯が10分で炊けるのだということを教わった。
また、オペラ座横のイチョウの木の銀杏を一緒に拾った。
(まわりに人垣ができ、
友人は一生懸命に銀杏の実の美味しさを説いた。
しかしあまりにも臭いのでみな、あまり納得していなかった・・・)