南チロル地方、ヴァル・プステリア再び (2)
南チロル地方に当たるアルト・アーディジェ州は
サイクリングロードが発達していて
ありとあらゆる場所へ自転車で行くことができます。
今年はプスターの谷間のリーンツ川に流れ込む支流に沿った
ヴァル・カシエスことギーザータールのサイクリングロードに挑戦。
最後の上り4キロにはしかし、参りました!!
途中にあったサン・マルティーノの村の市役所の前には
十字架と剣を持った僧侶の奇妙なブロンズの彫刻がありました。
十字架に剣、闘うお坊さん、まるで僧兵です。
実に変わったモニュメントだなあと思って調べてみると
それはJoachim Simon Haspinger (1776-1858)という
カプチン会僧に捧げられたモニュメント。
サン・マルティーノ出身の彼は1809年、
チロル人のフランスに対する独立運動を率いた英雄!!
(残念ながらOthmar Winklerによるこの銅像の写真は
インタネットでも見つかりませんでした・・・)
イタリアからも自治領としてある意味で「独立」している
チロル人たちにとっては歴史的に重要なシンボルです。
村の教会のチャペルには、
民族衣装をまとった農民の男女の彫刻が飾られていました。
女性は麦刈り用の鎌を手にしています。
(麦刈りは女性専用の仕事だったと、
ブルーネックの近くにある民族博物館でも説明されていました。
男性が鎌を研ぐ作業を担当。)
光輪が頭部に取り付けられていないので、
一見すると、この地方の農民の夫婦像に見えます。
祭壇の絵は母アンナ、父ヨアミムとともに描かれる少女マリア。
受胎告知の予告のようにも見えます。
後で調べてみると・・・
女性の彫刻は必ず鎌とともに描かれる
エーベンの聖女ノトブルガ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Notburga
働き者で貧しい者たちに親切だったと伝えられる
農民出身のこの聖女は中世期から女性たちにとても人気があり、
彼女の絵の描かれた小さな紙を丸めて
飲む風習まであったのだそうです。
日曜日にも労働を強いられた彼女はそれに抗議するため、
「この聖なる日に働くか働かないかは
神に決めてもらいます!」と言って鎌を空に放り投げると、
鎌は空中にとどまり、落ちて来なかったのだそうです。
男性の方は、聖ヴェンデリン。
・・・・ではないかと思われます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wendelin_of_Trier
http://en.wikipedia.org/wiki/Saxler
(ドイツのザクスラーという街の紋章にこの聖人の「アドリビュート」
とされるシャベルが見られます)
スコットランドの王子だった彼はローマに巡礼したのち、
ドイツに残り、隠者となりました。
その地の王侯に全く労働をしないのはけしからんと批判されて
一時は牛飼いもしていたということです。
後にザールブルッケンの近くにベネディクト会の修道院を創立したそうです。
ドイツ、オーストリア、スイスの農民の間で人気のある聖人で
牛飼いたちの守り神であり、必ずシャベルを持って描かれるとのこと。
こちらの聖人はしかし、ローマカトリック教会の
正式な聖者リストには列せられていないと
Wikipediaの説明にありました。
・・・やれやれ、教会に一切説明がない場合は
毎回謎解きのようです。
しかし、一般の人たちの彫刻に見えるところが
親近感をかもしだし、なかなかよいと思いました。
(地方に行くと、あまりオフィシャルではない図像が
見られることが多く、
ブルーネックの近くの村の民族博物館にも
アブラハムによる息子イザクの生け贄の絵で
どんでもない例が見かけられました。
それは個人が発注した絵のようなのですが、
「その3」でそれについても書いてみたいと思います。)
今回の滞在でとてもおもしろかったのは
森の中の崖の上に見つけた、廃屋と化した小屋の正体。
薪などをおいておく小屋のように見えたのですが
実に険しい谷川の方に回って、木につかまりながら上を振り向いてみると、
わわわ!
反対側にしっかりと水車が見えました!
こんな高い崖の上に!
一体水はどこから引いてきていたのでしょう・・・
と、小屋の近くを探してみると
水車の上のほうまでのびていたと思われる
丸太を彫って作った長い溝のようなものが見つかりました。
谷川の水を上の方から引いて水車を動かしていたのでしょう。
「上射式水車」というのだそうです。
雪解けのころはきっと凄い勢いで動いていたことでしょう!
サン・マルティーノを過ぎて
サンタ・マッダレーナに向かう途中には
今でも多分時々作動している水車を発見!
水車に上のほうまで、木でできた例の水道が!
今は動いていなにので、水車から離してあります。
水道は丸太ではなく、木の板でできています。
よく見ると、高さや長さの調節ができるように、
組み立て式になっていました。
山の中で見つけた水車も似たような仕組みだったのでしょう。
もしかしたら、製材に使われていたのかもしれません。
山で木を切ってしまえば、下まで運ぶのに便利です。
サイクリングロードが発達していて
ありとあらゆる場所へ自転車で行くことができます。
今年はプスターの谷間のリーンツ川に流れ込む支流に沿った
ヴァル・カシエスことギーザータールのサイクリングロードに挑戦。
最後の上り4キロにはしかし、参りました!!
途中にあったサン・マルティーノの村の市役所の前には
十字架と剣を持った僧侶の奇妙なブロンズの彫刻がありました。
十字架に剣、闘うお坊さん、まるで僧兵です。
実に変わったモニュメントだなあと思って調べてみると
それはJoachim Simon Haspinger (1776-1858)という
カプチン会僧に捧げられたモニュメント。
サン・マルティーノ出身の彼は1809年、
チロル人のフランスに対する独立運動を率いた英雄!!
(残念ながらOthmar Winklerによるこの銅像の写真は
インタネットでも見つかりませんでした・・・)
イタリアからも自治領としてある意味で「独立」している
チロル人たちにとっては歴史的に重要なシンボルです。
村の教会のチャペルには、
民族衣装をまとった農民の男女の彫刻が飾られていました。
女性は麦刈り用の鎌を手にしています。
(麦刈りは女性専用の仕事だったと、
ブルーネックの近くにある民族博物館でも説明されていました。
男性が鎌を研ぐ作業を担当。)
光輪が頭部に取り付けられていないので、
一見すると、この地方の農民の夫婦像に見えます。
祭壇の絵は母アンナ、父ヨアミムとともに描かれる少女マリア。
受胎告知の予告のようにも見えます。
後で調べてみると・・・
女性の彫刻は必ず鎌とともに描かれる
エーベンの聖女ノトブルガ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Notburga
働き者で貧しい者たちに親切だったと伝えられる
農民出身のこの聖女は中世期から女性たちにとても人気があり、
彼女の絵の描かれた小さな紙を丸めて
飲む風習まであったのだそうです。
日曜日にも労働を強いられた彼女はそれに抗議するため、
「この聖なる日に働くか働かないかは
神に決めてもらいます!」と言って鎌を空に放り投げると、
鎌は空中にとどまり、落ちて来なかったのだそうです。
男性の方は、聖ヴェンデリン。
・・・・ではないかと思われます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wendelin_of_Trier
http://en.wikipedia.org/wiki/Saxler
(ドイツのザクスラーという街の紋章にこの聖人の「アドリビュート」
とされるシャベルが見られます)
スコットランドの王子だった彼はローマに巡礼したのち、
ドイツに残り、隠者となりました。
その地の王侯に全く労働をしないのはけしからんと批判されて
一時は牛飼いもしていたということです。
後にザールブルッケンの近くにベネディクト会の修道院を創立したそうです。
ドイツ、オーストリア、スイスの農民の間で人気のある聖人で
牛飼いたちの守り神であり、必ずシャベルを持って描かれるとのこと。
こちらの聖人はしかし、ローマカトリック教会の
正式な聖者リストには列せられていないと
Wikipediaの説明にありました。
・・・やれやれ、教会に一切説明がない場合は
毎回謎解きのようです。
しかし、一般の人たちの彫刻に見えるところが
親近感をかもしだし、なかなかよいと思いました。
(地方に行くと、あまりオフィシャルではない図像が
見られることが多く、
ブルーネックの近くの村の民族博物館にも
アブラハムによる息子イザクの生け贄の絵で
どんでもない例が見かけられました。
それは個人が発注した絵のようなのですが、
「その3」でそれについても書いてみたいと思います。)
今回の滞在でとてもおもしろかったのは
森の中の崖の上に見つけた、廃屋と化した小屋の正体。
薪などをおいておく小屋のように見えたのですが
実に険しい谷川の方に回って、木につかまりながら上を振り向いてみると、
わわわ!
反対側にしっかりと水車が見えました!
こんな高い崖の上に!
一体水はどこから引いてきていたのでしょう・・・
と、小屋の近くを探してみると
水車の上のほうまでのびていたと思われる
丸太を彫って作った長い溝のようなものが見つかりました。
谷川の水を上の方から引いて水車を動かしていたのでしょう。
「上射式水車」というのだそうです。
雪解けのころはきっと凄い勢いで動いていたことでしょう!
サン・マルティーノを過ぎて
サンタ・マッダレーナに向かう途中には
今でも多分時々作動している水車を発見!
水車に上のほうまで、木でできた例の水道が!
今は動いていなにので、水車から離してあります。
水道は丸太ではなく、木の板でできています。
よく見ると、高さや長さの調節ができるように、
組み立て式になっていました。
山の中で見つけた水車も似たような仕組みだったのでしょう。
もしかしたら、製材に使われていたのかもしれません。
山で木を切ってしまえば、下まで運ぶのに便利です。