ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2007年三月その2 オラトリオ

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2007年3月23日

例のソレントのペン入れは何と、
ソレント19世紀中頃に有名だった工房で
作成されたものであることが判明した。
蝋でみがいているうちに、ミケーレ・グランドヴィッレという名が
焼き付けてあるのが見えてきた。
さっそく国立図書館に行って
ソレントの寄せ木細工のカタログを参照。
修復中のペン入れはミケーレの工房の作品に典型的な
ものであった。庶民の人物が二人、黒を背景に
飲んだり、食べたり、じゃんけんなどして楽しんでいる。
人物の足下のところが不規則な楕円になっていて、
人物が地面にちゃんと足をつけているように表現されている。
装飾的なブーケもまさにミケーレのものだった。
紛失してしまった花を、一輪つづカッターと彫刻刀で
切り取り、うまい具合に修復することができたと思う。
この場合、マエストロが言っていたように、やはり少し厚めの
化粧板を用いるのがベストだ。そうでないと切っているうちに
半分に裂けてしまう。
ディーラーのアレッサンドロはミケーレ・グランドヴィッレの
の作品であるということをきいて、
かなり落ち込んでしまった。
なぜなら、ペン入れはもう一件、やはりグランドヴィッレの作品である
箱も含めて1000ユーロですでに売ってしまったからだ。

今週はものすごい豪雨だった!
雹もふり、結構参りました。息子は今日、学校で吐いたので
呼び出されてしまった。
ペン入れの修復が終わって(労働時間は20時間以上。ディーラーが
クライエントなので、200ユーロ支払ってもらった。
グランドヴィッレのものであることが分かっていればきっと
2倍の値で売れ、私の方ももう少し払ってもらえたかも)
アレッツォのアンティック市で購入したヴェネト州出身の
箪笥の修復をしていたのだが、仕事を片付けて慌てて学校に向かう。
今日は久しぶりの素晴らしいお天気だったので
管理人のブルーノが美声で歌いながら機械を直していた。
(校長が変ってからやけに機嫌がよくなった。)
息子を自転車にのせて家に向かう。
お昼は中国食品のお店で買ったマレーシア製のおそうめんを
食べたが、やっぱり吐いてしまう。
今これを書いているうちに、息子は気持ちよく寝ている。

ボロミニの設計したフィリッピーニ会のオラトリオの修復
プロジェクトに参加できることが今日分かった。
工房の主力とともに来週の水曜からまず下見をすることに。
外のメンバーは日本からやって来た私のようにエキサイトは
していないみたいだが、(どうしてそんなに冷静でいられるの?)
自分が今までにやってきた、一見すると多様すぎて
めっちゃくっちゃなことが、何だかようやく一つの形に
なりそうな気がする。
教会に入っては木製の説教壇など眺めて、こんなのが
修復できたらいいのになああ、なんて思ったりしていたが、
まさかボロミニの関わった空間に自分も自分の技術でもって
参加することにできるなど、まるで夢のような話だ。
子ども時代はニューヨークのカトリックの小学校に通い、
キリスト教文化の洗礼を受けたのだが、
(実際の洗礼は結局受けていない)
何となく、自分がイタリアにいる本質的な理由が明らかに
なってきたような気がする。