ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2007年3月29日 作業開始

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昨日から聖フィリッポ・ネーリの創立したオラトリオ会の本拠地、
キエーザ・ヌオーヴァのオラトリオに通い始めた。
工房に託された課題は、現在カトリック要理の講義をする
教室として使われている広間の壁に取り付けられている
木製の長椅子型のスタッロ(背もたれ付きの腰掛け)の修復。
それから、このスタッロがもともとあった場所、つまり
食堂だった大広間に再びとりつけること。この二つだ。
18世紀の版画を見ると、楕円形の食堂には確かに、
今教室にあるスタッロと同じデザインのものが
説教壇を囲んで壁沿いに取り付けられている。
でも背もたれ部分は版画によると40以上。
昔台所として使用されていた教室に残っているのは29個。
残りの部分がどこかにないか、オラトリオの建物全体を探したらしいが、
残念ながらなかったそうである。(ちなみに説教壇は現在教会内にある)
版画を見ると、食堂の広間のちょうど上に当たる2階の広間にも、
背もたれはないが、同じデザインの長椅子が壁に取り付けらえている。
是非、2階のこの「遊戯室」を見せてくださいと頼んでみよう。

スタッロの破損状態全体を細かく記録した後、
いよいよ壁からはずして分解する作業がはじまる。
工房の主力、ジョとフェルナがベンチの構造を分析。
教室に移された時に新しく取り付けられた部分が明らかになる。
私の仕事は破損状態の記録をとり、スケッチをすることだ。
明日からはヴィデオカメラでの撮影も開始する。

オラトリオ全体の修復は建築家の指揮のもとで行われる。
建築家は美術史家と相談してそれぞれの部分の修復方針を決める。
我々はその方針決定に必要なデータを提供し、
建築家の指揮に従って修復を進める。
こうしたヒエラルヒーの中に身をおいて作業するのも
おもしろい。
ボロミニの時代、彼の指揮のもとにどんなふうに作業が
進んだのか、想像してみたりする。
しかし女性の職人はまずいなかったであろう。
平面図をみると、教室は昔台所だったそうだ。
私はきっとそこでジャガイモの皮を剥く係・・・

ボロミニは次々と斬新なデザインをオラトリオ会のメンバーに提案した。
しかしオラトリオ会は清貧のイメージを保たねばならず、
随分ボロミニをがっかりさせたそうである。
それでもヴォールトのデザインとか、層を成すつけ柱や繰形、
鉄格子のデザインがしゃれている。
オラトリオのリズミカルなファザードの層は隣に続いている
教会のファサードにそのままつながっていく楽譜のよう。
毎朝、教会裏からオラトリオに入る前に、
聖フィリッポの遺体の安置してあるチャペルを訪れる。
清貧のイメージとはほど遠い豪華な内装なのだが、
今でも信仰が生きているのが感じられるような
暖かさのある空間だ。