ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2008年 2月23日 セバスティアーノ・デル・ピオンボ展(1485年-1547年)

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ヴェネツィア宮殿で現在開催中のSebastiano del Piombo展
に関する覚え書き。
会場内は緑、赤、ブルーなどの照明がホールごとに施され、
作品の飾られた特設の壁の前にもう一つの壁が置かれ、
窓のようなくりぬきがしてあって、そこをのぞき込むと作品がある、
という展示になっていた。
展示壁面にはすべてビロードのような壁紙が貼られていて、
作品を引き立てていた。
随分凝った展示空間だなあと思っていたら、
監督のルーカ・ロンコーニとよく仕事を一緒にしている舞台美術家の
マルゲリータ・パッリがデザインに関わっているということだった。

ヴェネツィア出身のこの画家の本名はセバスティアーノ・ルチャーニ。
後年、ローマ方法庁から印章捺印官という職を与えられ、
その部署がufficio del piombo(鉛のオフィス)と呼ばれていたことから
「印章捺印課の修道士バスティアーノ」として知られるようになる。
(法王庁に努めるには一応聖職に就く必要があり、
セバスティアーノは修道士となった。)
セバスティアーノはティツィアーノと同年代で、
ジョルジョーネの工房では同期の仲間だ。
会場にはこの3人がいっしょに描いた肖像画も展示してある。
3人の個性が非常にはっきりと現れている感動的なオールスター作品だ。

「音楽と会話に長けた」セバスティアーノはアゴスティーノ・キージという
パトロンを得てローマに活動の場を移す。
そこでミケランジェロに出会い、意気投合する。
セバスティアーノのあの有名な『ピエタ』のカルトンは(下絵)は
ミケランジェロが用意したらしい。
この『ピエタ』は真っ青なマントをひざにのせたマリアの足下に
死せるイエスキリストが横たわる高密度の傑作。
月光がキリストの肢体を浮き彫りにする。
この作品はヴィテルボの枢機卿が注文した作品で、
当時も多大な反響を巻き起こした。
セバスティアーノとミケランジェロの友情はしかし、
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』の
制作を始めた時に終了してしまう。
ヴァザーリによると、セバはミケにこの作品を油で描かせたいと思い、
法王にもそう告げ、下準備を勝手に進めた。
元々フレスコの技法を使いたかったミケは「油彩のような女じみた技法なんて、
セバ修道士のような薄っぺらい人間しか使わないようなもんだ」と怒り、
二人は結局けんか別れ。

セバスティアーノはキャンヴァスの外に木や石板(スレート)を使用した。
最盛期の作品は木のタブローに油彩というものが多い。
大理石のようなつるつるとした輝かしい肌、
その効果を出すのに板が一番適していたのだろう。
そして画面の奥の方から前のほうに伸びてくる腕、手。
中にはあまり成功していないように見えるものもあるのだが、
あえて難しいポ―ズに挑戦している。
キリスト受難を描いた劇的な作品の斬新な構図は
後世のスペインの画家たちにも影響を与えている。

コロンブスの肖像も描いているセバスティアーノは
ミケランジェロやラッファエッロなどの巨匠たちの影になっていて
あまり注目されることはなかった。
しかしセバルティアーノはルター等による強烈な教皇批判や
神聖ローマ皇帝カール五世の傭兵たちによるローマ略奪などの引き起こした
ローマの精神的な危機を、身を以て感じていた画家だ。
各国から作品を集めた今回の初めての大掛かりな「個展」は
それをよく伝えている。
会期は5月18日までで、そのあとはベルリン絵画館を巡回。