ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2008年 9月8日 ヴェローナの大宴会

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  *写真は上から:1)舞台裏:エレガンドなジョヴァンナおばさんと
   ジョークを飛ばすのが上手なマリアおばさん
In the garage kitchen: elegant Aunties peeling potatoes
   2)テーブルの端っこにすわらせてもらいました
Our places at the very end of the long table
   3)"Il festeggiato", the Birthday Boy
4)手芸の達人エレナおばさん
   Aunt Elena adorned in her hand-made masterpieces
(knit-wear, embroidered skirt, Swarovski-bead bracelet)

This summer we were very lucky to have been invited to
Uncle Piero's Birthday Party while in Verona.
Piero is the son of the late Erminia,
who had nine daughters and one son.
She was well known in San Massimo where she brought up her
ten children on her own after loosing Francesco during the war.
People would often come visit this wise woman for advice.
Her funeral was wonderful: the whole church was packed with
the inhabitants of San Massimo and when Uncle Piero read his
eulogy the warm applause was endless.

Erminia's children are all so wonderfully well!
A long table was set under the kiwi pergola
(outside Verona you see more kiwi
than the usual peach trees nowadays...),
on one side the 'boys' and on the other side the 'girls'.
Such beautiful people, glowing in the dusk,laughing heartily!
I remember the first time my husband took me to one of these
aunt-uncle gatherings,
it was Erminia's Easter lunch some twenty years ago.
(Erminia was a cook so you can imagine how impressed I was
at the quantity of such yummy dishes!)
We weren't yet married but I knew that things would
turn out well the moment I walked in,
embraced already by the loving atmosphere.

ヴェローナ郊外のワインの産地、
Valpolicellaヴァルポリチェッラ出身のエルミニア。
彼女は10人目の子どもがおなかにいた時に
看護夫だった夫を伝染病で失う。
それ以来、軍事基地のコックをしつつ、
9人の女の子と1人の男の子を育てた。
戦中には不発弾が屋根に命中して
家の中に落ちてくるということもあったらしい。
子どもたちは小学校卒業と当時に働きに出た。
ヴェローナ郊外サン・マッシモに住んでいたエルミニアは
住民に信頼され、かなり深刻な相談ごとをよくもちかけられたらしい。
体育館のような大きな教会で行われたエルミニアのお葬式には
地区の人々が大勢参加し、教会内は超満員だった。
唯一の息子、ピエロの読み上げる追悼の辞の後に響きわたった
鳴り止まぬ拍手の音は今でも忘れられない。

ピエロは今年76歳。
エルミニアの子どもたちは全員猛烈に元気だ。
7月末にヴェローナの夫の実家に帰ったついでに
「特別に」参加されてもらったピエロの誕生会には
9人の姉妹が夫たちとともに参加。
「特別に」というには、全員が結婚している夫のいとこ
たちとその子どもたちの参加は認められて
いなかったからだ。全員が集まったら100人以上になって
しまうのである!
夫の場合は、私の妹がちょうどイタリアに
ヴァカンスで来ているということと、
ローマ在住であり、なかなか叔父叔母たちに
会えないから、という理由でお許しが出た。

ブドウ棚ならぬ、キーウィー棚の下に設けられた長ーーいテーブル。
(イタリアは今世界一のキーウィーの産地で
昔からあるヴェローナ郊外の桃畑が残念ながらどんどん
キーウィー畑に塗りかえられているということだ・・・)
右側に女性たち、左側に男性たちがずらり。
男性群が並ぶと壮観だ。
真ん中を占めるのは元ブッソレンゴ市長のサラルディおじさん、
元自動車修理工のサンドロおじさん、
鉄道員だったジョルジョおじさん。
みんなかっこいいのである。
メニューは旬のボルロッティ豆とパスタのスープ、
ハム、腸詰め、チーズ各種ら。
ガレージ内のキッチンではステラおばさんと娘のナディア
(いとこのナディアはホームレス生活調査を専門とする
ヴェローナ市職員)、料理の上手なジョヴァンナおばさんたちが
山積みのお皿の間で作業。
9人目のエレナおばさんは身長2メートルを超えるいとこの
ロベルトのおかあさん。
料理が超うまいことで有名なのだが
最近は手芸に凝っているようで
自分で機械を使って編んだニット、
シュワロフスキー・ビーズのブレスレット、
刺繍入りのスカートなど、全品お手製のものをまとっていた。
以前、この蒼々たるメンバーは夫の弟の結婚式に参加するために
大型パスを借りてイタリア南部までやってきたのだが
ナポリ郊外出身の義妹の親族までがその陽気さに参っていたようだった。
夫と付き合い始めて間もない頃に
私もまだ存命中だったエルミニアのイースター・ランチに参加されてもらい、
全員に紹介されたのだが
彼らに会って、これは絶対に幸せになれそうだなと感じたのを
覚えている。