ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2009年 2月 パッラーディオ生誕500年展雑感 Mostra di Andrea Palladio

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ヴィチェンツァはTeatro Olimpico 劇場見たさに一度訪れただけだったのだが
昨年年末はアンドレア・パッラーティオ生誕500年記念ということで
ヴィチェンツァにて開かれたパッラーディオ展を見るため
15年ぶりぐらいにヴィチェンツァに戻った。
とっても小さな街なのだが、中心街には田園に囲まれた街とは思えないような
重厚な宮殿がお互いの美を競い合うようにして立ち並ぶ。
そのほとんどがパッラーディオによるもの。
粉屋の息子だっだ彼はもともとは石工だった。
ヴィチェンツァで建築を趣味とした文人トリッシーノに気に入られ、
『ローランの歌』の騎士paladinoを想起させる「パッラーディオ」
という名を与えられた。
ローマでは古代ローマのモニュメンタルな建築を細かく研究し、
その空間のタイプや装飾的エレメントを分析。
これらの要素をうまくシャッフルする事によって注文主のニーズ、
趣味に合った建物のデザインを提供して行くという方法を用いた。
田舎のヴィチェンツァはパッラーディオに手により、
幻想的な古典様式都市に生まれ変わる。
Teatro Olimpicoの持つ「意味」がようやく分かったような気がした。
郊外のヴィラは田園風景にマッチした、平屋建てが多い。
今回訪れた ベーリチ丘陵に建てられた『ラ・ロトンダ』Villa Capra Valmaranaは
ヴィラと都市内の宮殿の中間に位置する作品。
(パッラーディオにとってvillaは農作業を展開する部分を含むもの。
この建物にはその機能がない。)
同じ形をした4つのファザードを持つ不思議な建物。
展覧会会場はパッラーディオ本人の設計した宮殿にて開催されたのだが
展示されていた自筆のスケッチや設計図のほとんどが
現在イギリス所有のものとなっている。
それは17世紀はじめにイギリスの建築家でパッラーディオの崇拝者だった
Inigo Jonesがそれを一式購入してイギリスに持ち帰ったためである。
この展覧会はヴィチェンツァのあとはロンドン、そしてアメリカを巡回するのだが
アメリカが最後のヴェニューであるという点が実に象徴的だとおもった。
パッラーディオの建築美の継承者はまさにワシントンなんだなあ、と
『ラ・ロトンダ』を鑑賞しながらちょっと考える。

Palladio was a real quick worker...
he also wrote a book on military tactics.
He knew Turkish architects, too,
the spindle-like towers seen on the Church of Saint George in Venice
look like minalets.
It's good that they didn't choose his plan for the Rialto bridge....
his rigorously classic style would have created cacophony
in the Venitian Gothic harmony....