ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2009年 12月 ローマの野辺の送り Saying Good-Bye

元学生で息子のベビーシッターをずっとしてもらっているリーのお父さんが
亡くなってしまった。
心臓のバイパス手術は成功してお元気だったのに・・・

かつて教えていた大学の研究室に、ある日突然現れたリー。
とても寡黙な学生だったのだが、とにかく毎週指導時間にやってきていた。
ぜんぜんしゃべらないので、一体説明を聞いているのか
聞いていないのかもよく分からず、
とにかく毎週相手をしていたのだが、
だんだん口数が増え、曇り空が晴れるように
どんどん表情が明るくなり、いつのまにか二人でいろいろなことを
話し合うようになっていた。
その年に受けた試験ではなんと満点プラスアルファをゲット。
私も彼女も感激して泣いてしまったのを覚えている。
卒論の指導を受けに自宅にやってくる学生たちはまだ小さかった息子と
よく遊んでくれたものであったが、
リーの息子に対する接し方のうまさにはびっくりしたのを覚えている。
(息子は大勢の学生の中からリーを
自分のベビシッターとして選んだのであった!)
是非子どもの教育に関する仕事を、とすすめ、彼女としては
美術館で働きたいというので、それじゃあ、
美術館の子ども向けワークショップなんて
どうなのだろうかと話し合っているうちにさすがの彼女は
結局東洋美術館で研修生をしつつ、仲間の卒業生たちと
美術館をサポートするワークショップのチームを立ち上げた・・・
リーは本当に自慢の卒業生だと言えよう。

リーのお父さんは感染病治療が専門のスパランツァーニ病院で亡くなった。
病院の聖堂での告別式に参加すべく、庭園の美しいこの病院の敷地内に
初めて足を踏み入れた。
その朝は強い風の吹く、雲一つない晴天、
ざわめく木々に強い日差しが当たり、何もかもがきらめいていた。
小さな聖堂には美しい花束がどっさりと飾られ、
その真ん中に初めて出会うリーのお父さんが眠っていた。
「リーはお父さんにそっくりだね!」「うん、うん、そう」と答えるリーと
泣き笑いをしてしまう。
しばらくすると銀色の霊柩車がゆっくりと音も立てずに入って来た。
それから一家はお父さんの生地であるアブルッツォ州に向かい、
そこでお葬式が行われるとのことだった。
親族の人々しか残っていないようだったので
このあたりでリーに分かれを告げることにした。
そのあと、棺がねじで密閉されるという儀式が続いたはずだった。

ナンニ・モレッティの『息子の部屋』という映画では
死を消化する時間も与えられない現代イタリアの諸々の制度の
酷さが訴えられている。
息子のクラスメートのお父さんのお葬式では
司祭が、誰のお葬式なのか分からないようなお話をし、
(キリストのことしか語らず、
お父さんの一生については何一つ言及しなかったのである)
あまりに事務的すぎて、不満の残るものだった。
しかしリーのお父さんの告別式では病院関係者が終了の時間をかなり過ぎていても
いっさい現れることなく、細かい気遣いが感じられた。

昨日はローマは雨だったのだが、山岳地帯、アブルッツォでは雪が降った。
アブルッツォ出身の人々は土地との絆が非常に強く、
死後、そこへ帰ってゆく人々が多いようである。