ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2010年 20年ぶりのナポリ!

ナポリ!
ナポリは不思議なところ。
20年前に妹を引き連れて南部を旅行した時にもよったのだが
観光局のオフィスでナポリの地図piantaを下さいといったら、
「あれこそがナポリのピアンタだよ、」と、
隅っこにある観用植物に指を指す。
(ピアンタは「地図」と、「植物」と二つの意味がある)
やっと地図を出してもらえるのかと思ったら、今度は
何語か忘れたが、ナポリだと分からないくらい変わったナポリのその国の言葉での
名称入りに地図を出され、あっけにとられた。
ようやくナポリの「ナポリ」と書かれたイタリア語版の地図を出してもらい、
spaccanapoli(半分に割れたナポリ)と言われる場所はどこですか、
と聞いたら、おじさんは地図をひらりと手にとり、
びりいいいと二つに裂き、
「これぞ、スパッカナーポリイイイイ!」と一人で受けてわっはっは。
20年前はまだ治安も悪く、ホテル事情も今一つで、
おトイレの水漏れのする、シーツも替えていないような
ひどいところに泊まった。
しかししかし、バスに乗ったとたんにおじさんたちに囲まれ、
「どこにいくんだい、わしが停留所の場所を教えよう」とか、
道で地図を広げるやいなや、またおじさんたよって来て
「迷ったんですか?どこへ行くんでしょうか」と聞いたり、
とにかく必ず、私たちの行動はあらゆる場所で見守られ、
行く先々で助けられていた。
考古学博物館では小学校の遠足に子どもたちに会い、
何人かの男子がクラスをはぐれて私たちの後をついてくる。
私たちに向けられるまなざしは好奇心と愛情に満ちていた。
「あなたたち、発掘品じゃなくて日本人の女の子を見に来たの?」
と先生が笑いながら男の子たちを連れに来た。
ナポリは確かに犯罪の多き街、危険な区域も多い。
しかし、なんとも不思議なのはそこに住む人々。
とにかくいっしょにいると居心地がよく、
守られている、何のへだたりもなくとにかく受け入れられている、と
すぐに感じさせる人々なのである。
(ナポリは危険故、日本人観光客同士が知り合いでなくても
道で会うと、会釈をする唯一の街だった。
20年前の話であるが。
ナポリ人のあのあっけらかんとしたおおらかさが
感染するのであろう。
レストランで「日本人っすか?
いっしょに食事いいっすか?」といいつつテーブルごと
よって来た大学生の男の子もいた。)

今回は女の子二人の旅ではなく、
妹夫婦、息子付きの4人の旅行であったが、
それでもバスの中でスリに気をつけるように何人もの人たちに
親切に注意されたり、お店の人と気軽に話したり、
また地図を広げていると学者風のおじいさんに英語で
「どこへ行きなさる」」と声をかけたれたり、
ローマ人のあのざらざらした「ひとざわり」を10年経て、
なんだかイタリアに「抱擁」されたような感じがして
ちょっと感動してしまった。
ロマン主義と言われるかもしれないが、
この感覚はイタリア人にも感じられるものであり、
ナポリ出身の工房の同僚クラウディウがなぜあんなにいつも
どんないじわるそうな人でもat easeにさせ,
微笑ませてしまう力があるのか、
ようやく分かったような気がした。

ホテル情報:友人お勧めのところはいっぱいで
スローフードのガイドにものっていた
Napoli T’amoというところに泊まりました。
最高のポジション、シンプルで清潔。
レストラン:友人お勧めのMim? alla ferrovia おいしかったし、
オーナーもウェーターも最高でした。
ワインは白ならファランギーナで行きましょう。
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お城のバルコニーからヴェスヴィオ山を臨む
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この夏で一番暑い日にポンペイを見学。
La casa del faunoの邸宅には夾竹桃がもともとお庭に植えてあったそうです。
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「走れダンテ!」
エルコラーノの貴族の邸宅から出土した実にダイナミックな彫刻群です。
この写真の撮影のアイディアは息子本人のもの。

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お城の美術館にあった銀製の聖遺骸入れ。
表情がやわらかく、なんともほほえましいです。
息子撮影。