ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2010年 ベルリン雑感その1 忘れる力、忘れない力

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長ああい(ちょっと悲観的な)ベルリン写真日記をここに書いていたら、雷が落ち、
コンピュータの電源が切れ、すべて消えてしまいました・・・。
すこしスタイルを変えた方がいいということでしょうか。

ベルリンは第2次世界大戦中に壮絶な爆撃を受け、
大聖堂の巨大なドームはすっとび、王宮も大打撃を受けました。
ガランとした空間にモダンな建物がたくさん建っているのを見て、
古い建物に埋め尽くされていて息苦しいイタリアの人である夫は
一つ一つの新しい形に感動していましたが、
美術史、古家具修復に溺れているロマン主義者である私としては
そのモダンさがかえって痛々しさを感じさせていました。
上の写真は王宮跡の草地をベルリン大聖堂の新しいドームから臨んだもの。
王宮再建の計画がありますが、それはあまりにむなしく・・・
誰かが草地に落書きをしたこのハートを残すのが一番ではなかろかと勝手に考えてました。

初日は夜遅く着いたのですが、食事をとるため、
旧東西を知らずに往来していたのだと地図をみて分かり、ショックを受け、
翌日は壁の跡を追って3千里、かなりたくさん歩きました。
宿は旧東ドイツの住宅地にとったのですが、
まわりの団地はきれいな色とりどりの色に塗られ、
バルコニーからは花がこぼれ、
いい車がずらああああっと駐車してありました。
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街路樹の反対側に壁の痕跡が見られます。
基壇がずっと、木々の裏側の草地に何気なく置いてあります。
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中心街に近づくと、この赤いレンガの線が見られます。
ポスタマープラッツに着くと、レンガの線はモダンな建物の下敷きに。
このばからしい壁を超えるために何と多くの人々が命を落としたことか。
チェックポイント・チャーリーがディズニーランド化しているのに
頭に来ながらさらに壁の線を辿りました。
(もうそろそろ、線を離れてもいいんじゃない?と夫に言われながら)

一方で「忘れないパワー」が非常に注がれているのはユダヤ人虐殺の歴史に対して。
すばらしいです。
ユダヤ人博物館を見学する時間はなかったのですが、
ブランデンブルグ門のすぐ近くに建てられた
広大な記念碑、いい作品です。
迷路のような、たくさんの墓石のような柱の間をうねうね歩き、
自然といろいろ考えます。
あるいは心が無になります。
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歴史とは記録していくことである一方で、あらゆるものを削除して行く、
つまり「忘れる」ということ。
ポグロムを太字で、しっかりと正視しながら記録するドイツ人。
ある国民が進化するかしないかは、記憶の仕方にもよるのだろう。
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「盲人のための工房」美術館という看板を見て、視覚障害者のための
美術館なのかなと思って入ってみたら、
それはなんと、多くのユダヤ人従業員をかくまったり、助けた
Otto Weidtの帚、ブラシ製造工場跡。
一番端の部屋の箪笥裏には隠し扉があり、そこにもユダヤ人の家族を
かくまっていました。
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工場のあった39 Rosenthalerstrasse は街の改装の嵐にまだ
巻き込まれていない、グラッフィーティーに埋め尽くされたブロック。
今度戻ったらきっと変わってしまっているだろう。
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