ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

2010年 12月 Rach3, Arishima Ikuma etc.

今朝のローマはとても寒く、初めて冬らしい一日でした。
日中は少し晴れ、10度以上まで気温があがりました。

昨日は海に散歩をしに行き、
そのあと空港近くのフュミチーノのショッピングモールにて
買い物をし、家に帰ってヒラメのムニエル「粉屋風」を料理。
息子と夫はダウンロードの完了したモニチェッリのI soliti ignotiを鑑賞、
私は読みかけていたマーガレット・アットウッドの本(The Robber Bride)から目が離せず、
こちらに熱中してしまいました。

今朝は弟がやっぱり結婚はしないという知らせを日本から受け、ちょいとがっかり。
「音楽の公園」と名付けられた新開発地区のアウディトーリウムにて
飛び入りで「日曜ファミリー・コンサート」を聴きに行った。
プログラムはラフマニノフ、ピアノ協奏曲第3番。
始まる前に曲の説明があり、第2番がラフマニノフを鬱病から救った
催眠術の医師に捧げられてた曲であることを知った。
なるほど、あの冒頭の時計の振り子のような、押し寄せては帰り行く波のような、
がらあんごろおんと鳴る鐘のようなあのテーマは
そのような体験に由来しているのか、と妙に納得した。
第3番はShineというオーストラリアの映画で有名になったものだが、
非常な難曲で、この曲が捧げられたピアニスト自身も一度も演奏したことが
なかったらしい。
アメリカ初演もラフマニノフ自身の演奏。
第2回の演奏はロンドンにて。マーラーの指揮でラフマニノフ。
きっと壮絶なものだったと思う。
批評では「金のような美しく、鋼のようにダイナミックな」ラフマニノフ、
オケとピアノのぶつかりあいの激しさについて語られたらしい。
指揮者は26歳、ヴェネズエラ出身のDiego Matheuz,
ピアノは代りに本日入ったウクライナ出身のalexander romanovsky、こちらも26歳。
(9歳の時からロシアでオケと競演、13歳の時にイタリアに留学することになり、
家族ごと移民を踏み切ったらしい。)
二人の素晴らしい競演に観客は大感激。
アレキサンダーは本当に繊細な美しい弾き方をするピアニストであった。

午後は息子は英語の宿題、夫は新しい作品制作、私は有島生馬の『新しき古羅馬人』という
短編の伊語訳に没頭。
「ベニヨア」という仏語の、衣服の用語の意味が割り出せず、
(「赤いベニヨアを着て裾を引いては居たが一見身重の女である事が分かった。」)
女性の衣服の上衣らしいというのは文脈で分かっていたので
bodice, waistcoat, jacket, blouse, gilet, robeをインタネットの英仏辞典で入力。
bathrobe を入力したらPEIGNOIR(化粧着,部屋着)が出て来ました。
「ペ」が「べ」となっていました。本来ならば「ペニョワール」。
そうかそうかなるほどおおおお。
この短編、当時の事件記事の話題などにも言及があり、
やはり有島氏のヨーロッパに舞台を据えた短編の多くはドキュメンタリー風のものが
中心で、この短編の画家も実在した人物であることが分かった。
有島氏は大学の「先輩」でもあり、(もちろん現在のものとは大学の性質が
違うのではあろうが)とても近しい人のように思える。
短編に描かれている20世紀初頭のローマをなぞり、
息子を学校に送り届けた後の早朝のローマを歩くのが一つの楽しみである。