南チロルの夏再び
今年は南チロル地方でもとても暑くて
7月にたくさん雨が降ったにもかかわらず、ポルチーニはあまり見つかりませんでした。
湿り気のある場所にのみ、見つかりましたが、
全体的に森の地面が乾いている感じでした。
チロルでの滞在の最終日に雨が降り、
もしかしたら今週か来週あたり、またぽこぽこと生えてくるのかもしれません。
はじめての留学先、パドヴァ大学の分校のあるブリクセンBrixen、
イタリア語名ブレッサノーネ。なつかしいです。
ボローニャとちょっと状況が似ていて
ローマ法王管轄下のカテドラル(ロココ調)と
ブレッサノーネ市民本来の教会(左側の地味なほうです、でも
こちらのほうが味があり、荘厳な雰囲気に包まれています)がコントラストを成しています。
(ボローニャの場合、司教座教会はメインの広場にはないのですが。)
ブリクセンには南チロルで活躍するアーティストたちの作品を
扱っているギャレリーがありました。
チロルならではの木材、古い鉄の廃材などの素材を活かした作品がありました。
このギャレリーはもともとは古い製本屋さんで、
木製のプレゼピオ(キリスト降誕劇を表す人形セット)もたくさん扱っています。
Galerie Hofburg
via Vescovado, 5
39042 Bressanone (Bolzano)
Trentino-Alto Adige – Italia
チロル地方の古い農家を専門に描く画家もいました。
実物大の木彫。さすがに腕のよい木彫の作家がたくさんいます。
裏道に入るとクリーミーなケーキにような色の新しいペンキのまだ塗られていない
古い町並みが見られます。
今年は久しぶりに妹夫婦と共にSand in Taufersのお城を自転車で訪れました。
16世紀に初めて、男女共学の学校がこのお城を校舎としていたということです。
もちろん貴族の子弟が対象ですが・・・。
子どもたちの肖像画を飾った広間があります。
オーストリア国境付近のヘルム山からのぞむアルプス。
こちらがイタリア領Sextenゼクステン。
振り向けば、こちらはオーストリア領。Silianシリアンの街が見えています。
でもいずれもドイツ語圏です。
第一次大戦後にチロル地方はイタリアとオーストリアに別れてしまいます。
国境に沿って、祖国、「ハイマット」とは何かをテーマに
両地域の住民たちの言葉を集めたパネルがところどころ立てられていました。
Olangオラングの墓地です。
何とすばらしい景色に囲まれた憩いの場所なのでしょう。
一つ一つのお墓が丁寧に手入れされています。
土に帰り、空気となって昇天してゆく。
山の生活は大変厳しいもので、この地方の人たちは
大変貧しかったのですが、
現在観光業、農業、各種産業が発展し、非常に経営の
うまくいっている地方です。
それもイタリアからは経済的に全く独立した自治領だからこその話ですが
何よりも人、もの、動物、自然に対するやさしさの感じられる地方だと思います。
しかし相当ドイツ語ができなければ
イタリア人にはあまり住みやすくはないのだそうです。
イタリア系の子どもはドイツ語の学校になかなか入れないのだそうです。
第一言語がイタリア語の学校はあまり質がよくないとのこと。
(でも設備は超よさそうです。トイレもずっときれいなのかも・・・)
今年もSt.Lorenzenサンクト・ロレンツェンでサイクリングの途中で一休み。
教会裏の公園がまずます充実していました。
人気の遊具はなんといってもこれ!
縄で出来た竜のぶらんこ!何人の子どもがのれるのでしょう。
グリル焼きにされてしまった聖ロレンツォさん教会にある
キリストの受難を描いた数々のライフサイズの彫刻群。
いつみても圧倒されてしまいます。
苦痛と悲哀が波のように押し寄せてきます。
そんな血みどろのチャペルの中にやさしく微笑む天使を発見。
花のうしろにひっそりと隠れていました。