ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

エミリア地方の地震

5月20日、フェッラーラ近郊の地震に続き、
昨日29日午前9時頃、より西のほうのミランドラを震源とする
マグニチュード5.8の地震が発生。
マグニチュード4以上の余震が午後1時まで続きました。
30日午前10時現在、死者16名、行方不明1名、負傷者350人、
避難民のべ8千人となっています。
16人中、13人が工場の建物倒壊により死亡。
耐震建築に関する法律を見直す必要があります。

教会もいくつか半壊。
ミランドラ市のドゥオーモは屋根が落ち、
ファサード、側壁の一部が崩れ落ちてしまいました。
モデナ県、ロヴェレート・スッラ・セッキアという街では
教区司祭のイヴァーノ神父が教会のマリア像や燭台など
重要なものを持ち出そうとして亡くなってしまいました。

被害状況のヴィデオ。レプブリカ紙のサイト。
http://video.repubblica.it/dossier/terremoto-emilia-20-maggio/mirandola-un-paese-in-ginocchio-dopo-il-sisma/96772/95154

ボローニャ市内もかなりの揺れが感じられ、
本日は点検のためすべての学校が閉鎖されています。

アフリカ大陸がヨーロッパに向けて移動しており、
アペニン山脈がポー川流域のパダーナ平野を北西に向かって
押しているということです。

16世紀後半の文献を調べている時に
確かにボローニャでも地震の記事がたくさん出てきたのですが、
これは1570年から1574年にかけての
エステ家のフェッラーラを震源とする地震の影響だったということが
分かりました。
1570年11月17日に始まった一連の地震は
この地方一帯の40パーセントの建物を倒壊させたということです。
文献には13年間にわたり地震の記録があるそうです。
その影響でローマの聖ピエトロ寺院専属の建築事務所、
「ファブリカ」の元所長(ミケランジェロの後任者)ピッロ・リゴーリオは
移住先のフェッラーラでの地震体験をもとに
一体どうして多くの建物が倒壊したのか分析をし、
「耐震建築」とはどのようなものなのか、
初めて考え、その設計例を『さまざまな地震に関する書、あるいは論文集』にて発表。

イメージ 1

典拠:
http://www.lavorincasa.it/articoli/in/progettazione/casa-antisismica-del-cinquecento/

5月20日の地震に関してはトリエステの地震研究所が
実は予想を発表していたということです。
フリウリ地方、ウンブリア地方、ラクイラでの地震など
多くの地震が発生しているにもかかわらず、
今回のものをきっかけに
まだまだ意識が足りないという反省が見られます。

フェースブックではしかし、かなり多くの情報がリアルタイムに流され、
その流布に多くの人々が協力するという現象が見られ、
心強かったです。

6月2日イタリア共和国建国記念日には
イタリア軍のパレードがローマで予定されていますが、
多くの国民がそれを中止したほうがよいのでは、と
大統領に呼びかけをしました。
パレードは結局行われることになっていますが、
従来のものよりもおさえた形のものとなりそうです。

トリエステの地震研究所のホームページで
地震速報一覧をリアルタイムで英語でも見ることができます。
だいぶ弱まって来ましたが、
とても不安な日々が続きそうです。
http://rts.crs.inogs.it/en/home.html

以上、本日のレプブリカ紙全国版らを参考に書きました。