ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

カマルドリ修道院とカマルドリの「聖なる庵」

今年の夏は直接南チロル地方に行ってしまうのではなく、
北上する途中で色々な場所に寄ってみることにした。
海よりも山派の我々一家は、ヴェローナに行く途中にある山岳地帯を選ぶ。
地図で見ると、アレッツォの北の方にカゼンティネージ国立森林公園、とある。
プローディ元首相が好んで滞在するカマルドリ修道院にも行ってみたいので、
森林公園の中にある、カマルドリの近くのパディーア・プラタリアの街の
アパルトマンを予約してみた。

バディーア・プラタリアは14世紀にカマルドリの僧院に覇権を奪われるまでは
かなり重要な僧院のあった街である。
僧院の名残りは街の教会の地下礼拝堂に少し見られる程度だ。

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バディーア・プラタリアはトスカーナの田舎風の石造りの住宅が
とても急な傾斜にあちこち点在している形の街だ。
狭い小路には公共の照明灯がないので、
夜になると、それぞれの家に灯が灯り、まるでイエス降誕の場面を表す
プレゼーピオのかわいい街のよう。
街の真ん中の渓流沿いには、1837年にトスカーナ大公レオポルド2世により、
この一帯の森林を経営するために招聘されたボヘミア人のカルロ・シエモーニの開いた
樹木園がある。
樹木の名前の入ったキャプションが見当たらず、説明してくれる人がいなければ
ちょっと分かりにくい風ではあったが、
この地方にしかない珍しい種もここに保存されていて、
シエモーニの仕事は今でも森林公園のレンジャーたちに受け継がれている。
何ともイタリアでは、樹木や植物の苗が欲しい場合には
森林公園に行けば、大手企業によって改良されていない、
イタリア土着の自然種が手に入るのだそうだ。
(日本にもそういう種の保存のようなことを
森林公園で行っているのだろうか。)

バーディーア・プラタリアはまた、
とてもパンの美味しい街でもあった。
カマルドリの庵に向かう路の入り口のところもあるたった一軒しなかい
パン屋さんに毎日いりびたり。
この街に住んだらきっとまるまると太ってしまうに違いない。

カマルドリの隠者たちの里に向かう森林の中の路を登ると
まず三段になった滝がある。
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水量がかなり少ないので、地層がはっきりと見える。
この一体の森は背の高い、優雅なぶなの木が中心である。

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霧の中、ゴシックのカテドラルの中を歩いているようである。

カマルドリの庵には20軒ほどの、それぞれ塀に囲まれた
小さな庭付きの1階だての石造りの住宅が柵のむこうにある。
それぞれ一人で一軒の家に住む僧侶は毎日、自分の庭の畑を耕し、
家の中の小さな礼拝堂で祈りを捧げる。
正確な人数は覚えていないが、現在は10人以下。


昔はクリスマス、イースター、そしてこの修道院を1023年頃に創立した
聖ロムアルドの祭日の日にのみ他の僧たちに会うことができるという
実に厳しい戒律が守られていたのだが、
最近はミサはみなであげたり、食事も食堂で一緒に他の僧侶たちととることが
できることになったとガイドさんが説明してくれた。
お坊さんがフードをかぶっていればそれは他の人と言葉を交わさないという
修行中の印なのだそうだ。

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聖ロムアルド教会の内装は特にすばらしい。
この地方には木彫り職人が昔多くいたという。
木彫りの美しい装飾に金箔が貼ってあったりと、
あっと驚くようなディテールに豊富な教会であった。
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また、フィレンツェのデッラ・ロッビア一家の上薬のかかったテラコッタ彫刻群もあった。
これは本来は教会の外側の壁にあったものだが、
近年教会の中に移された。
制作当時から一度も修復を受けていないということだ。
その美しさにツアーに参加していた人たち全員がため息をもらす。

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カマルドリの庵から、一般の人たちも滞在することのできる
カマルドリ修道院へは、徒歩で下りて行った。
ルネッサンスの時代にはロレンツォ・ディ・メディチも滞在しており、
新プラトン主義についての色々な議論が展開されたのかもしれない。

教会にはヴァサーリの作品がいくつかあり、
特に「イエスの降誕」はなかなかの出来であった。


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そして中庭に面した元礼拝堂には何と、
昔々、レオ・レオニの研究をしている時に訪れた、
ラヴェンナのモザイク・アーティスト、
マルコ・デ・ルーカの個展が開かれていた。
モザイクの破片を埋め込む時に角度を変え、
太陽光の当たり方を計算に入れて立体感を出していくのだと
教えてくれたのは彼である。

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