ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

レオ・レオニを追って その1 フォーチュン誌について少し

レオ・レオニ、本来的にはレオ・リオンニ、は
国語の教科書にも掲載されている『スイミー』の作者。
日本では知っている人がとても多いのですが、
残念ながら、イタリアでは絵本の好きな人でないかぎり、
イタリアに長く在住していた作家であるにもかかわらず、
その名を知っている人はあまり多くありません。

1995年頃でしたでしょうか、板橋区立美術館にて、レオの個展を、レオがまだ存命中に開催され、
企画はローマの美術展センターにて子どものためのワークショップ活動の基盤と、
世界でも最も優れた絵本を集めたコレクションを開始した
パオラ・ヴァサッリと、レオを良く知っていた
グラフィックデザイナーのアンドレア・ラウクによるものでした。

レオは総合的なアーティストだったのですが、この展覧会は
レオの絵本を紹介するとともに、
それぞれの絵本で使用された技法やテーマを手がかりに、
アーティスト(油絵画家、彫刻家、版画家、鉛筆画家、モザイク作者等)としての仕事を紹介するものでした。
そして今年にはその第2弾と言った感じで、
第一弾では紹介されなかった「しられざるレオ」も含めた展示となる予定です。

レオの父親はダイヤモンド産業で財を築いた、
オランダのユダヤ人でした。
大叔父には同時、クレー、シャガール、ル・フォーコニエなど、
前衛芸術の作品を作家から直接購入していた
美術品コレクターなどもおり、
幼児期はこうした作品に囲まれて成長します。

当時のアムステルダムはモンテッソーリメソードなど、
革新的な小学校教育も盛んで、
レオもそうした小学校で教育を受け、
王立美術館でデッサンを楽しんだり、
叔父たちの知的な会話を聞いたりと、
実に豊かな少年時代を送ります。
自分の部屋にはテラリウムという、
動植物観察用のガラスの箱もあり、
部屋の前に飾ってあった、
一つの物語を語るシャガールの緑色の顔をした
ヴァイオリン弾きの絵などとともに、
これらのすべての要素は、
レオが50歳になってから描き出した絵本世界の中に
投入されていきます。

レオについて基本的なことは知っていましたが、
今回はレオの自伝を頼りに、
レオの行き来した様々な世界を現在、旅行中であります。
糸をたぐり、それをてがかりに、今回は
レオの活躍していたニューヨークにも行って調査をしました。
おかげで色々な図書館、文書館を訪れることができ、
司書さんたちにレオの違う顔に合う喜びを(一方的に)
相棒と二人で分かち合っていました。

もちろん、一つの糸をたぐっているうちに、
インタネットの力を借りて別の道にそれていってしまう、
危険とわくわくするような楽しみに満ちた旅です。

今日はレオの、タイム・ライフ社の有名なビジネス雑誌、
フォーチュン誌のことについて
寄り道調査をしている途中で、
イギリスのアマゾンでは購入できなかった
(ヨーロッパには発送をしない本屋さん)
フォーチュン誌の視覚伝達デザインの歴史への貢献、
というテーマのカタログに関する資料が、
なんと、カタログの編者のホームページで見つかりました。

フォーチュン誌は、ビジネスの世界に一つの「文学」を与えるために、
大恐慌の翌年にヘンリー・ルースが創立した雑誌です。
ビジネスマンたちを啓蒙し、その知的レヴェル、
知識を高めることを目的とした、
大判の豪華な購読雑誌でした。
発刊当時から画家、イラストレーター、ポスターデザイナー、
写真家を起用し、特に若いクリエーターにとっては
デビューの場でもありました。
フォーチュンの編集室では、若いアーティスが
ポートフォリオを持ち込むことが多く、
レオが1949年7月号からこの雑誌の
アート・ディレクターになってからも、
レオは多くの若者たちの相談に乗っていたということです。

レオは前任者のデザイナー、ウィル・バートンは、
インパクトの強いイメージを大事にし、
文章はイメージのコメントのような役割を持つ物として
考えていましたが、
レオはむしろ、文章を読ませるためのイメージの役割に注目し、
フォーチュン誌のレイアウトを非常に読み易く、
しかも見易いものに変えて行きました。
それは特に白い空間を上手に駆使することによって
得ていた効果でした。

ブログを更新することにより、赤ずきんちゃんのように
また道草をしてしまいました。
でも調査の楽しみによって得るこの興奮について、
ちょっと日本語で書きたくなったので書いてみました。

以下、レオ自身が手掛けたフォーチュン誌表紙をアップしておきます。
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1952年3月号
冷凍のオレンジジュースという、
記事と関連した、おそらくは油絵かテンペラ画によるレオの表紙画



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            1955年7月号
直接雑誌の内容とは関連性がありませんが、
夏休みに入る7月号ということで、
灰色の都会から明るいヴァカンス先へ向かっている
都会の人々がテーマです。
この号を皮切りに、フォーチュン誌のトップ企業500の
特集が始まります。

イメージ 5
1957年5月号
レオはノラとインドに行き、
インドの産業のルポをこの号で発表します。
写真家としてレオを眺めることができます。

イメージ 4

1957年7月号
原子核がテーマの表紙
巻頭記事、水素発電と原子力発電を比較した記事に
関連性のある表紙です



イメージ 3

1960年2月号
冬のニューヨークの、
遅くまで働くオフィスの窓をイメージしています。