ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

さらば、我が友フィリッポ

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土曜日に息子の親友のレニちゃんのお父さん、
フィリッポ・ベッティーニ教授が急死した。
先週の火曜日のレニちゃんの素敵なお誕生会ディナーについての話題が
まだ新鮮だった土曜日の午後に。

中学2年になっても毎日欠かさず、
レニちゃんを学校まで送りに来てたフィリッポ。
(レニちゃんは大学まで来られちゃったらどうしよう、と
本気で心配していた!)
その毎朝毎朝が彼にとってどんなに感慨深いものだったか、
今ようやく、分かったような気がする。
レニちゃんは、6年前にカザキスタンからやって来た。
2ヶ月にわたり、カザキスタンに何度も通ってようやく得た息子だ。
彼の見つけた宝石。

わたしたちの毎朝を
政治論、文学論、おいしい食べ物のはなし、
生活のなかでのこまごまとしたできごと、
いっしょに見に行ったコンサートや映画のことなど、
さまざまな話題で満たしてくれていた彼。
(元5年E組、父兄モーニング・コーヒーの会。
自由参加で、毎朝8時15分頃、学校前のバールに4、5人の父兄が集まる。)
季節、その日の気持ち、その日の予定などに合わせて毎日、
着用するもののコーディネートも違い、
ハンカチやネクタイ、傘などの色や柄もなかなか見逃せないものだった。
昨年は手製の淡いオレンジ色と藤色の絞り染めのハンカチをフィリッポのために見つけ、
彼のコーディネートの楽しみにちょっと参加させてもらったり。

ローマの街を愛する故に展開したさまざまな文化イベントや企画。
テヴェレ川沿いの、日本風でいれば「歌碑」に当たる
テヴェレ川やローマをテーマとした詩のパネル設置。
毎年春、夏のローマ詩人祭り。
ローマの街を語った文学作品、詩作品、評論などを、時代別に集めた
すらばしい全集。
(この全集は残念ながら中世期まで。近代篇では有島生馬の、
ローマを舞台にした短編も翻訳も企画に含まれていた。)

いずれの企画においても、彼は大学の知識人の陥りがちな
ナルシズムに捕われることがなかった。
いっしょに企画することになった
日本未来派音楽のコンサートの時もそうだった。
そもそも、この企画は
息子たちの登下校時の、
保護者同士のおしゃべりタイム中に生まれたものだった。
まだ知り合って間もない頃の、湿った冬の朝。

自分にも厳しいため、彼はわたしたちに対しても一切容赦をしなかった。
いっしょに仕事をして行く上で、
怒られたことももちろんある。

ワインの味のおもしろさについて
教えてくれたのも彼だ。
彼の選ぶワイン、一つ一つがまるで、詩のようだった。
「野の花に薫るそよかぜのような、舌触りののちにやってくる、
一瞬のほろにがさ」と言うふうに。
こんな体験を、彼は素人の私たちにも分けち合うのを、
非常の楽しみとした。

カンポ・ヴェラーノの墓地の、「エジプトの神殿」でおととい行われた葬儀では、
ローマ元市長ヴェルトローニがすばらしいスピーチをした。
精神的荒廃の進む中、フィリッポは愛するローマの文化の火を絶やさないために
その身体を張って闘っていたのだ。

この火をこれからも私たちもどんどん
明るくして行こう。
それはどんなに小さなことでもいい。
ワインが熟成するように、育て方によっては
すばらしい味のものになり、
人々の身体と心を養うものとなるのだ。