ローマ・デッサン帳

ローマでの生活、見たことや感じたこと、絵本と美術関係の仕事について綴ります。

第35回サルメデ国際絵本原画フェスティヴァルImmagine della Fantasia インマージネ・デッラ・ファンタジーアその1




サルメデはヴェネツィアから60キロ離れたかわいらしい、おとぎ話に出てくるような美しい丘陵地帯に囲まれた小さな街です。サルメデに魅了されたステファン・ザブレルという、チェコ共和国出身の絵本作家の始めた子どものための絵本をテーマとしたこのフェスティヴァルは現在、ステファンの意思を継いだザブレル・ファウンデーション、およぶサルメデの地元の人々によって支えられた、子どもたちに捧げられるイヴェントです。
今年のテーマは日本ということで、日本にも長く在住していたフィリップ・ジョルダーノを通じて初めて、おとぎ話のようにずっと話に聞いていたサルメデとふれあう機会を得ることができました。写真は今ひとつですが、キャプションを通じてこの盛りだくさんの、たくさんの夢と希望の詰まったフェスティヴァルについて、少しでも雰囲気をお伝えできればと思います。

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Sarmede (Treviso) トレヴィーゾ県サルメデ市 市役所

こちらがサルメデの市役所です!お隣にCasa della Fantasia (ファンタジアの家)という、周囲の建物の雰囲気を踏まえたモダンな展覧会会場ができるまで、フェスティヴァルは市役所の中で行われていたということです。日本がテーマなので、日本の旗も今年は仲間入り!オープニングには、地元の子どもたちが『となりのトトロ』など、日本をテーマとした曲を披露。

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市役所のお隣のCasa della Fantasia。フェスティヴァルのオフィス、ザブレル・ファウンデーションの本拠地。フィリップのデザインしたポスターは桃太郎がテーマ。みんながキジの背中に乗っかって冒険に向けて出発!ウィンクする建物の目もフィリップのデザイン。あ!写真の中にボローニャ在住の絵本作家、ジョヴァンニ・マンナさんの奥さん、作家のラウラ・マナレージ(左側)さんがいます!この地方の建物は人の顔のような感じの家が確かに多いです。

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市役所の前には川が流れています。橋にはこいのぼりが!川に沿って2014年に遊歩道ができ、中心街から小学校まで、子どもたちが安全に通学できるようになりました。南フランスの街、Cocumontとの姉妹都市提携を記念して遊歩道はPercorso Cocumontと呼ばれています。道沿いには小劇場もあり、演劇に関するワークショップも多く行われているとのこと。街の中にはそこここにザブレルやその弟子たちのフレスコ画も見られます。
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市役所の前の橋です。北の方をのぞむと、アルプスへと続く山々が見られます。この地方はプロセッコを始めとする、おいしいワインの産地で、丘陵地帯の斜面はぶどう畑とオリーヴの木に覆われています。

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サルメデ第35回の展覧会のメインのアーティストはフィリップ・ジョルダーノ。オープニングは人が多くて写真がとれませんでしたが、フィリップの珠玉の絵本たちの原画を存分に楽しめる個展が開かれています。昨日から地元の小学校やヴェネト州の他の街の小中学校生たちが会場を訪れ、展覧会のガイト付きツアーやワークショップに参加します。個展の中には、子どもたちが色々な幾何学的な形を使って動物を組み立てることのできる壁もあります。フィリップがデザインした楽しいゲームです。

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サルメデ展の中核はザブレルの始めた、世界中から集められた、30人の作家による絵本原画展です。今年のボローニャ国際絵本原画展にも入選しているGioia Marchegiani さんの白黒の力強い挿絵によるMaria Lai のCampanellino d'argento (「銀のすず」)も含まれています。Maria Laiはサルデーニャ出身のアーティスト。このお話はサルデーニャの民話がベースで、ジョイアさんはサルデーニャに実際に赴いてこの作品を作り上げました。

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会場には、原画の横に絵本がぶらさがっているので、絵本を読みながら、作品によっては原画だけれではなく、ストーリーボードやラフも鑑賞することができます。


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日本からはのだよしこ(Yocci)さん、渡辺みちおさん、岡田千晶さん、フランスで活躍しているなかむらじゅんこさん、藤本将さんの5人が参加。こちら、イタリアのコライーニ出版で出ているMenu di Yocci の原画です。イタリアの子どもたちは日本食が大好きです!一番好きな食べ物は、と聞くと、ピッツァではなく、「スーシ!」と答える子どもが多くなりました。岡田千晶さんの『ボタンちゃん』に登場する幼児期の忘れられたものたちは、付喪神を彷彿とさせます。この作品はモニカさんの息子さんの一番気に入った作品、及び絵本でした。


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サルメデ国際絵本原画展には、イタリアのモデナ市にある、Franco Cosimo Panini 出版との、ゲスト国民話集の共同出版という企画もあります。この民話集のシリーズはフォーマット、デザイン、ともに大改修が行われ、とても素敵な絵本ができました。こちらにいらっしゃるのは、「笠地蔵」を担当したコチミさん!『むかしむかし』というタイトルの民話集の8つのお話を、4人のイタリア人と4人の日本人が担当。8人8様のスタイルを、赤や青などの共通した色調がひとつのまとまりを与えています。民話は『源氏物語』の伊語訳で有名なローマ大学元教授、Maria Teresa Orsi先生の日本民話集がベースで、イタリアの児童文学作家、Giusi Quarenghi によって再話されています。

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日本民話集『むかしむかし』の原画展の続きです。なかむらじゅんこさんの「つるの恩返し」、そしてイタリアのValeria Petroneさんの「河童の嫁」です。お話に出てくる瓜は草間弥生さんの作品に想を得たとのこと。お!このお座布団には見覚えのある方もいらっしゃると思います。そうです、のだよしこさんが今年のボローニャ・チルドレンズ・ブックフェアフェアの「にほんのえほん」展のために制作されたあのお座布団たちです!ボローニャ、ミラノの無印、トリノ東洋博物館を経てサルメデに「にほんのえほん」展とともにやってきました!

成城の美しき森の中で

こんにちは!
久しぶりにこのプログに戻ってまいりました。
物事をじっくり考えることを再開したいと願って書いています。

東京都世田谷区成城のみつ池の森は神秘的な、
異界につながる禁断の空間です。
弟は仲間とその森の中に探検をしに勝手に入ってしまい、
近所のおばあさんに相当叱られたそうです。
そのおばさんがずっと森鴎外の娘である森茉莉さんだと
勘違いしていたのですが、今日それが同じ名前の別の方だと知りました。
樫尾俊雄氏の住まいが樫尾記念館となり、山田邸が公開されるようになり、
世田谷区ではその歴史を重宝するようになりました。
また、みつ池緑地には樫尾氏の邸宅の庭に沿って美しい散歩道が整備されました。
ちょっと軽井沢を歩いているような感じです。
子供の頃にシダ植物の採集をするために
成城のあの近辺は放課後に歩き回った記憶がありますが、
暗い森の中にある、樋口邸には全く気が付きませんでした。
(まあ、上を見ずに、自分と親友にとってもお宝である
シダを探すために地面しか見ていなかったような気もします。)

コンクリートがまるで木材のように感じられるこの建物は
なんと、ヴェネツィアのビエンナーレの日本館を設計した
吉阪隆正によって1966年にデザインされたものでした。
とにかくびっくりしました。
こちらにとても面白い説明があります。
皆様もぜひご参照ください。





カマルドリ修道院とカマルドリの「聖なる庵」

今年の夏は直接南チロル地方に行ってしまうのではなく、
北上する途中で色々な場所に寄ってみることにした。
海よりも山派の我々一家は、ヴェローナに行く途中にある山岳地帯を選ぶ。
地図で見ると、アレッツォの北の方にカゼンティネージ国立森林公園、とある。
プローディ元首相が好んで滞在するカマルドリ修道院にも行ってみたいので、
森林公園の中にある、カマルドリの近くのパディーア・プラタリアの街の
アパルトマンを予約してみた。

バディーア・プラタリアは14世紀にカマルドリの僧院に覇権を奪われるまでは
かなり重要な僧院のあった街である。
僧院の名残りは街の教会の地下礼拝堂に少し見られる程度だ。

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バディーア・プラタリアはトスカーナの田舎風の石造りの住宅が
とても急な傾斜にあちこち点在している形の街だ。
狭い小路には公共の照明灯がないので、
夜になると、それぞれの家に灯が灯り、まるでイエス降誕の場面を表す
プレゼーピオのかわいい街のよう。
街の真ん中の渓流沿いには、1837年にトスカーナ大公レオポルド2世により、
この一帯の森林を経営するために招聘されたボヘミア人のカルロ・シエモーニの開いた
樹木園がある。
樹木の名前の入ったキャプションが見当たらず、説明してくれる人がいなければ
ちょっと分かりにくい風ではあったが、
この地方にしかない珍しい種もここに保存されていて、
シエモーニの仕事は今でも森林公園のレンジャーたちに受け継がれている。
何ともイタリアでは、樹木や植物の苗が欲しい場合には
森林公園に行けば、大手企業によって改良されていない、
イタリア土着の自然種が手に入るのだそうだ。
(日本にもそういう種の保存のようなことを
森林公園で行っているのだろうか。)

バーディーア・プラタリアはまた、
とてもパンの美味しい街でもあった。
カマルドリの庵に向かう路の入り口のところもあるたった一軒しなかい
パン屋さんに毎日いりびたり。
この街に住んだらきっとまるまると太ってしまうに違いない。

カマルドリの隠者たちの里に向かう森林の中の路を登ると
まず三段になった滝がある。
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水量がかなり少ないので、地層がはっきりと見える。
この一体の森は背の高い、優雅なぶなの木が中心である。

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霧の中、ゴシックのカテドラルの中を歩いているようである。

カマルドリの庵には20軒ほどの、それぞれ塀に囲まれた
小さな庭付きの1階だての石造りの住宅が柵のむこうにある。
それぞれ一人で一軒の家に住む僧侶は毎日、自分の庭の畑を耕し、
家の中の小さな礼拝堂で祈りを捧げる。
正確な人数は覚えていないが、現在は10人以下。


昔はクリスマス、イースター、そしてこの修道院を1023年頃に創立した
聖ロムアルドの祭日の日にのみ他の僧たちに会うことができるという
実に厳しい戒律が守られていたのだが、
最近はミサはみなであげたり、食事も食堂で一緒に他の僧侶たちととることが
できることになったとガイドさんが説明してくれた。
お坊さんがフードをかぶっていればそれは他の人と言葉を交わさないという
修行中の印なのだそうだ。

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聖ロムアルド教会の内装は特にすばらしい。
この地方には木彫り職人が昔多くいたという。
木彫りの美しい装飾に金箔が貼ってあったりと、
あっと驚くようなディテールに豊富な教会であった。
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また、フィレンツェのデッラ・ロッビア一家の上薬のかかったテラコッタ彫刻群もあった。
これは本来は教会の外側の壁にあったものだが、
近年教会の中に移された。
制作当時から一度も修復を受けていないということだ。
その美しさにツアーに参加していた人たち全員がため息をもらす。

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カマルドリの庵から、一般の人たちも滞在することのできる
カマルドリ修道院へは、徒歩で下りて行った。
ルネッサンスの時代にはロレンツォ・ディ・メディチも滞在しており、
新プラトン主義についての色々な議論が展開されたのかもしれない。

教会にはヴァサーリの作品がいくつかあり、
特に「イエスの降誕」はなかなかの出来であった。


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そして中庭に面した元礼拝堂には何と、
昔々、レオ・レオニの研究をしている時に訪れた、
ラヴェンナのモザイク・アーティスト、
マルコ・デ・ルーカの個展が開かれていた。
モザイクの破片を埋め込む時に角度を変え、
太陽光の当たり方を計算に入れて立体感を出していくのだと
教えてくれたのは彼である。

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秘密のサビーナ

あっという間に時間が経ってしまいました。
皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか。
久しぶりにブログを更新いたします。
本当に忙しい一年でした。


夫のある週末、カスペーリアに行ってみようと言われ、
それはとこ?と聞いた。
確かに聞いたこともない街の名前であった。
それはサビーナ地方という、ローマ北西の地域、リエーティ県に当たる地域の
小さな中世の街。
ローマに越した当時、パロンバーラ・サビーナに立寄り、
あまり印象がよくなったので、サビーナ地方をなんなく
頭から消してしまって全く期待していなかったのだが、
ポッジョ・ミルテートを行き過ぎたあたりから
なんと、トスカーナ地方のような、美しいオリーヴ畑に飾られた
なだらなか波のような丘が現れ、
かわいらしい農家はきれいに手入れされていて
住宅の庭先には花が咲き乱れ、
県道の脇にはラツィア州に特有のゴミがほとんど落ちていない。

まるでおとぎの国の中にいきなり入ってしまったようである。

やがて谷間の丘にちょこんとのっかったかわいらしい中世の街が見えた。

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街は未だに中世の城壁に囲まれ、
のぼり坂になった小さな路なりに家々が並び、
車の入る余地もない。
ほとんどの建物がきれいに修復されており、
家に帰って調べたところ、この地方の中世の街には最近
多くのイギリス人やその他の外国人、また北イタリアの人たちが
移住しているということが分かった。
話によると、サビーナの人たちはあまり自分たちの地方を
積極的にプロモートしたがらないということだ。
その美しさを保持したいためなのかもしれない。

カスペーリア近辺には他にも美しい中世の街がたくさん隠れていた。
その中でとても気に入ったのがロッカンティーカという山の上の小さな街。
カスペーリアのように、修復は進んでいないので、
わびさびた感じがまだ残っている。

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こちらの街も車は入れない。
街にはお年寄りが多く、
日曜日の日没の時間、おばあさんたちが
教会の中でロザリオを唱える声が聞こえた。

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おじいさんはおばあさんが教会にいる間、
犬を散歩させていた。

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小学校の大理石の看板が下ろされていた。
無線通信を発明したマルコーニにちなんだマルコーニ小学校。
子どもたちが減って、小学校も閉鎖になってしまったのだろう。


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夕立の後の美しい黄金の日差し。
サビーナ探検はまだまだ続きそうである。






ボローニャ国際絵本原画展 2016年

ボローニャ国際絵本原画展の50周年を記念する、
2016年ボローニャ展に入選したみなさま、おめでごうとざいます!
また、今回は落ちてしまったけれども、がんばって応募にこぎつけた方たちも
おめでとうございます!!

今年の審査員は、ブックフェア2016年のゲスト国であるドイツの
の編集者、クラウス・フーマン、
アメリカ在住のイタリア人絵本作家セルジオ・ルッツィア
http://www.ruzzier.com/日本でも絵本が出版されています)、
ニューヨークのSchool of Visual Arts http://www.sva.edu/ ;
の視覚芸術におけるナレーションの方法論を担当するコミックアーティスト、
ネイサン・フォックス http://www.foxnathan.com/
日本からは絵本作家の三浦太郎 http://www.taromiura.com/ と、
太郎さんの外国での絵本デビュー作品を出版した編集者、
スイスのラ・ジョワ・ド・リール www.lajoiedelire.ch/ の
フランシン・ブシェさんという、素晴らしいラインアップでした。

5人5様、とにかく全員が絵本、イラストレーション、イメージの物語性に対する
意見が異なり、白熱した議論が3日間続きました。
5人の中で、やはり太郎さんを最初に認めたフランシンと太郎さんの
意見がやはりよく一致していました。
二人は子どもの視点、新しい物事の捉え方にとても敏感でした。
今までの国際絵本原画展の審査員には、コミックの世界で働いている編集者、
アーティストはまれだったのですが、
今回初めて、日本のマンガにも大きな影響を受けているネイサンが参加することにより、
コミックのスタイルによる表現を用いた作品がいくつか入選しました。
また、昨年より、原画展のカタログである『アニュアル』のデザイン、出版、配本に、
ブルーノ・ムナーリの作品出版で世界的にも有名なイタリアのコライーニ出版が
関わったことにより、作家たちもいい影響を受け、
今年の応募作品のレヴェルは昨年よりもよいものでした。
マンガ風の作品は毎年見られるのですが、
今年は特に質の高いもの、物語性の強いものが多く目につきました。
ルッツィアさん(2014年版の入選者てもあります!)は水彩画の達人なので、
とくにテクニックには厳しく、
また具体的にお話を語っているかどうかという点にとても注目していて、
作品の裏に貼ってあるキャプションを一生懸命読み上げていました。
クラウスは作品の伝えるユーモア、見ていて楽しい作品であるかどうか、
という点に注目していました。
編集者として、とても気に入った作品がいくつかあり、
フランシンさんもそうなのですが、
審査員全員の意見が一致しなくて落選してしまったとしても、
絵本になっていく可能性の見出した作品が今回いくつかありました。

応募作品の中には有名な絵本作家のスタイルを真似したような作品が多々見られ、
心配する審査員、とても批判的な審査員もいたのですが、
三浦太郎さんのコメントがとても興味深く、他のメンバーたちをうならせていました。
それは、真似する人が多いということは、やはりそれは作家としての好みだけではなく、
時代が求めているフィーリンクを反映しているからでしょう、ということです。
また、太郎さんは確実に、まったく別の次から作品を解読し、
表面だけでなかく、その裏側にも入り込み、その構造の本質を把握するので、
今回太郎さんとともに3日間することができて、大変な刺激を受けました。
太郎さんの編集者のフランシんは時には太郎さんのコメントに感動し、
太郎さんの選んだ作品に自分の票をいれるというケースがありました。
お二人がこのすばらしい体験を共有することにより、
また一つ、太郎さんの新しい作品が生まれるやかもしれません。

今年も10人の日本人の方が入選しました。
ボローニャでお会いできるのを心から楽しみにしています!









プーリア州 マッサーフラの「呪術師グレグーリオの薬局」探検




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イタリアのお盆に当たる万聖節、およびその翌日の死者の日のお休みを利用し、
夫の大学時代の友人の住む、ブーリア州のマッサーフラという街を訪れた。
マッサーフラはムルジア台地の街。
お隣のバジリカー他州のマテーラと同じように、
グラヴィーナと呼ばれる、石灰岩の浸食による渓谷に挟まれた高台に立つ。
マテーラは月のクレーターのように、お椀型に浸食された高台の谷間(の壁)を彫って造られた
洞窟住居が中心であるのに対し、
マッサーフラでは地面を彫ることによって石灰岩を採掘し、
それを建築資材として利用して住居が建てられた。
その結果、マッサーフラの旧市街の家には食物などが貯蔵されていた地下室(vicinanze)が必ずあり、
これらの地下室が編み目のようにつながっていて、地下都市のようになっている。
専門のガイドに頼めば、これらの通路を案内してもらえるとこのと。
今回見ることはできなかったのだが、
ビザンチン時代の壁画のある地下教会がたくさんあり、
ぜひ再訪したい街である。

マッサーフラの住人は13世紀まではグラヴィーナ渓谷の洞窟住居の中に住んでいた。
渓谷には7階建ての団地のような住居が150戸彫りだされ、岩には階段の跡が見られる。
伝説によれば、グレグーロという名の呪術師が最上階に薬草の製薬工場を構えていたという。
グレグーリオはギリシャ系の医師だっと言われている。
この伝説の影響により、マッサーフラの人々には呪術の才能のあると信じられていた。

地滑りがあってからは、一般のアクセスは禁止されてしまったのだが、
渓谷に谷底に建てられた教会のガイドのヴィートは
遠来の観光客ということで、私たちを特別に案内してくれた。
今思えば、しかし、かなり危険なツアーであった。
岩にただ立てかけられただけの長い梯子を登ったり、
ロープをたぐってのロッククライミング。
洞窟住居には手すりや柵も、一切なかった。


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「薬局」より渓谷の反対側の団地を臨む。
4階より上の部分が見られる。

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危険な蒸気が居住空間のほうに流れて行かないように、
製薬工場の入り口はにじり口にようになっている。
入り口には板がはめられるようになっている。



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この小さな壁龕が、様々な薬草を収納する棚の役割を果たしていたと言われている。
納骨用のニッチよりも小型である。


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谷底から眺めたグレグーリオの薬局。
薬局は実際には僧院の一部だったという説もある。
谷間には薬草が多く栽培されていたらしく、現在でも多くの薬草を採集することができる。


夜のマッサーフラ。
修復が徐々に進められている。


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魔法の杖をふれば、
不思議な世界に通じる扉が現れるのかも。

滝のある街、ネーピ


ローマのレストランで
マイルドなガス入りのミネラルウォーター、
acqua di Nepiを選べるところだと、
ここはいいレストランなのではないかという
期待が膨らむ。
しかも、ガラスのボトルの場合であればなおさらだ

このおいしい、さらさらとした軽いガス入りの水は
ローマ北西、ヴィテルボ県の小さな街、ネーピの街のすぐ近くの泉から出る。
ネーピという名前は、エトリルア語で水、という意味の言葉が語源。
なので、古くから名水の出る場所として知られていたということだ。
このあたりは深い渓谷が森林を刻み込んで行き、
古い街が渓谷に挟まれた丘のてっぺんに建設されている。

ネーピの街の南にあるローマ門に近寄って行くと、
水の轟が聞こえてくる。
門をくぐり、右側に見える渓谷に沿って城壁の方へ振り向いてみると、
なんと、大きな滝が!
そう、ネーピは滝のある街だったのだ!!!
ネーピの街は二つの川に挟まれた丘の上にあり、
南側は崖になっている。



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渓谷はグランドキャニオンのように両側が崖になっているので
珍しい動植物が今でも生息しているとのこと。
反対側の谷間には遊歩道のようなものがあったが、
あまりメンテがされていないため
雑草が生い茂り、蚊の大群に襲われて
途中までした歩けなかった。
下の写真は門を入ってすぐに見える街の南側の様子。
ボルジア家の法王、アレッサンドロ6世時代に立てられた
お城の塔が見えている。
法王は娘のルクレツィアのこの街を贈り、
彼女はこの街をよく治め、住民に尊敬されていたということだ。

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ネーピの街の中心にある市役所宮殿の噴水。
1727年作。
ヘビの巻きついた塔は街のシンボル。

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街の奥の方に行くと、少し廃れた感じがする。
ネーピは鉄道の駅もなく、ローマからアクセスが悪いので
鉄道の通っているブラッチャーノ湖湖畔の街と違って
ローマのベッドタウンとして発展することがなかった。
(近年、ローマ市内の不動産価格上昇により、
郊外に住む若い家族が多くなった。)
上の写真は聖ロッコを祀る小さいなチャペル。
路のモザイクには、巡礼者聖ロッコの属性(アトリビュート)である
荷物をくくりつけた棒の図案がはめこまれている。



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こちらはボルジア家の建てたお城。
コンサート会場となっていて
夏場はバロック音楽のフェスティバルがここで開催されている。
このフェスティヴァルは町おこし政策の一環。
フラミニア街道方面の近くの小さな街には
渓谷の中に建てられた美しいロマネスクの教会
(聖エリア)もあり、
近郊にはエトルリアや古代ローマ時代の遺跡が豊富で、
食べ物もおいしく、
歴史的にも文化的にも
もっともっと見なおされるべき街である。